市場に出回らない、久慈川のサケ
私が子どもの頃は秋になると久慈川河口の赤い橋付近でサケ漁をしている何艘(そう)かの小舟を見ることがありましたが、最近はあまり見かけなくなった気がします。また、そもそも身近なところでもサケが捕れるということを多くの人は知らないのではないかと考えました。
そこで、実際にどのようにサケ漁をしているのかを調べるために久慈川河口の赤い橋の近くにある「まさきや釣具店」に取材してきました。
久慈川でもまとまった量が捕れていたサケ漁
元々は現店主の須藤敏子(すとう・としこ)さんの義父が昭和45年頃始めた「まさきや釣具店」。
釣具店を始める前はウナギ漁で繁盛し、それでお店を建てたと敏子さんは聞いていたそう。初めの頃に販売していた釣りエサはゴカイだけでしたが、お客さんが並ぶほど賑わっていたとのことでした。
店は釣具店ですが、秋になるとサケ漁もしています。このサケ漁について過去の様子も振り返りながら敏子さんが話してくれました。
サケ漁は漁業権(許可)を持っている人だけが期間中いつでも久慈川に網を入れることができます。そして1人または2人で乗った舟を使い、漁場に行った順番に流し網という方法で15分流してから網を引き上げるそうです。
漁が盛んだった頃は舟が15~16艘ぐらいあり、「まさきや」では捕れたサケは一般のお客さんに販売し、また毎年のように買ってくれる常連さんからの注文も多かったとのことでした。
「私が嫁いだ当時はサケは高級な食べ物で、塩引きにしたりそのまま売ったりして、60万円くらいの売上になったときもありました」
サケにも温暖化の影響が⁉
しかしここ数年は捕れる量が減少していったようです。そしてついに2021年には1匹も捕れなくなったとのこと。そのため2022年は4艘程度に減っての漁でしたが、朝から晩まで網を流しても捕れた舟で4~5匹程度、中には1匹も捕れない舟もあったそうです。
漁をすると漁業権に毎年2万円、網を作るのに8万円位の費用がかかります。サケが捕れないとこれらの費用だけがかさんでしまうので、「まさきや」は2022年は漁を休んだそうです。
しかし、サケが捕れないからといって何年も休めるわけではなく、敏子さんは悩みながらも来年はサケ漁を再開することを考えているようでした。
サケが捕れないのになぜ漁を再開するのでしょうか?それは漁を休み続けると漁そのものの資格を失ってしまうからです。
それではなぜサケが捕れなくなってしまったのでしょうか?敏子さんに尋ねてみました。
温暖化の影響で水温が上がり、サケが帰ってくることが出来なくなってしまったのでしょうか?
また、以前は目の前の久慈川で平貝(ヒラガイ)や川海苔(カワノリ)も採れ、川海苔を使って板海苔(イタノリ)を作っていた時もあったそうですが、水温が上がったことにより海苔なども採れなくなったそうです。
温暖化が原因だとすると、影響はサケだけではなく他の海の生き物にも出ているようです。
時代の流れと釣具店の今後
敏子さんの話は、サケ漁以外の商売や周辺における環境変化の話へと続きます。
「今までの釣り人はエサを使っていましたが、ルアーなどを使う釣り人が多くなってきました」
さらに最近は店の品揃えや価格などをインターネットで調べられるのでそこで釣り具を購入する人や、個人店よりも品揃えの多い量販店に買いに行く人が多いとのことでした。
加えて「輸入しているエサの価格高騰や、そもそもエサを使わないルアーを使うことによってエサを買いにくる人は減ってはいます」と、商売的にはあまり良い状況ではないことも聞かれました。
「それでもコロナ禍になって釣り人自体は多くなってきていると感じますし、お客さんの中には栃木県辺りから何度も来てくれる人もいます」
また、釣りの目的である魚種も変わってきているようで「ここ5〜6年はイセエビなどを釣る人も増えています」
と話す敏子さんは、釣具店としての存続を思い悩んでいるようです。
そして「まさきや」の今後についてはそのほかにも考えなければならないことがありました。
【サケ漁について】
サケ漁は敏子さんの義父が亡くなったあと2年位休んだそうですが、子どもの頃から義父と一緒に舟に乗っていた息子さんが「やりたい!」と言って資格を取って継いでいます。
しかし、敏子さんは息子さんに店を継いで欲しいとは言っておらず「釣具店では生活できないから他の仕事を選んだほうがいい」と伝えたそうです。息子さんは現在も一緒には暮らしていますが、車で15分程度の場所でカイロプラクティックを開業しているとのことでした。
【釣具店の移転について】
前を通る国道245号の拡幅工事により、数年先には場所を移動せざるを得ないとのことでした。
「私はインターネットが使えないので一人では情報を得ることが難しいのです。お客さんが来てくれれば情報が入ってくるので、いい場所があれば移転することも考えています。でも商売を続けるには年齢的に難しいかもしれません」
敏子さん一人で現状の釣具店を維持していくことは問題はないようですが、移転に伴う建て替えや次の代に商売を引き継ぐとなるとあまり現実的ではなさそうです。
取材してみて
「温暖化」は遠い世界のことではなく身近な所でも起きている問題なのです。水温の上昇で身近な所でもとれていた「サケ」や「ノリ」がとれなくなっている、世界的にみればマイクロプラスチックなどの海洋汚染も問題になっています。
ちょうどこの記事を書いているのが年末だったので「サケ」についてもう少し書き加えておきます。私の家では正月三が日に焼いたお餅を塩引きで食べます。それが当たり前だったのでなんの違和感もありませんでしたが最近になってそのような食べ方をするほうが少ないということを知りました。また祖父から聞いた話ですが、婿養子だった曾祖父の実家に年末になるとサケを一尾もっていかされたそうで、その理由は「サケは生まれた川に帰る」という事からだそうです。
何気なく行っていた習慣も、身近なところでサケが捕れていたからこその事だったのかもしれません。
せっかく東海村に住むのであれば身近な地域の「自然の恵」、「サケ」が捕れていることも知ってもらえればと思いました。
▼取材・執筆担当者
冨永寧 / 写真・インタビュー・執筆
東海村出身の祖父や久慈浜出身の祖母から地域の事を聞いて育つ、10年ほど東海を離れていた時に「茨城」や「東海」の良さをより実感する。18年前に東海に戻り美容室を開業、それと共に商工会や東海まつり実行委員会など地域の活動にも参加。2010年解体前の旧白方小学校の見学会「一斉登校日」の実行委員長を機により積極的に地域の活動に関わりや繋がりを持つようになる。培ってきた経験などを新しい繋がりで活かせればとスマホクリエイターズLab.に参加する。
塩田ひとみ/インタビュー
茨城県東海村出身、在住。
2022年夏に社会人生活のほぼすべてを過ごしていた東京から東海村にUターン。
昔から変わらない東海村の奥深い魅力を再発見しつつ、今の東海村の魅力や関わっている人のパワーを感じたい、という思いで「T-project/スマホクリエイターズLab.」に参加。
東海村といえば「原子力」、だけではなく農業はもちろんのこと、移住や観光などにも可能性があるのでは、と日々妄想中。
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