東海村から演劇を発信、「劇団とみかる」が子どもたちに伝えたいメッセージ
取材場所に着くと、稽古場から音楽とともに少女たちの愛らしい歌声が響いてきます。「とうかいミュージカル」から4文字とって名づけられた東海村生まれのミュージカル劇団「劇団とみかる」は、1カ月後の公演に向けて、芸に磨きをかけている真っ只中でした。
そんなお忙しい中取材を受けてくださったのは、団長の浅利閑果(あさり・のどか)さん、団員の根本ひろし(ねもと・ー)さん、演出の近藤美幸(こんどう・みゆき)さんです。
「公演の練習の度に大変な思いをするので『もう辞めようか』『今年で最後にしようかな』なんて言い合います」(浅利さん)
「でも本番が終わると、演劇を続けたくなっちゃうんです」(近藤さん)
「舞台は中毒みたいなものです」(根本さん)
と、みなさんしっかり演劇のとりこになっている様子です。
さらにお話を伺っていくと、一度はまると抜け出せない演劇の魅力、そして劇団を運営していくにあたっての課題や子どもたちへの想いが見えてきました。
東海村にミュージカル文化の火を灯したい。
住民参加型から主体型の劇団へ。
「劇団とみかる」発足のきっかけとなったのは、2000年に現在の公益財団法人東海村文化・スポーツ振興財団(以下財団)が主催した事業「住民参加ミュージカルin東海村」。プロの劇団を招致し、演技や歌の指導を受けた住民が舞台に立つというプログラムで、当時はプロの役者が演じる舞台に東海村の住民がコーラス(アンサンブルキャスト)として参加するスタイルで公演を重ねていたのだそう。
その後、事業は「東海村にミュージカルの楽しさを伝え、その文化を根付かせよう」という思いから、2004年に「劇団とみかる」と名付けられて継続。2008年には財団による支援団体となり、自分たちで演出、脚本、作曲、振り付けなどを手がけることになりました。現在も、東京から講師を呼び本格的なレッスンに取り組んでいるそうです。
団長の浅利さんは、2000年に小学2年生で「住民参加ミュージカルin東海村」に参加。以来、出産で舞台を離れた時以外はすべての公演に参加しているという生粋の「とみかるっ子」です。
「今まで続けてこられた理由は、本番中にお客様が『わー!』と歓声を上げてくださるのがうれしくって!キャストもスタッフもお客様もお芝居を楽しんでくれる環境を作りたい。そして舞台公演に限らず、イベントに出演したりして村民のみなさんと交流の機会を増やしていきたいです」(浅利さん)
と、さらなる劇団の発展に意欲的でした。
劇団とみかるの公演作品の中で、みなさんに思い出深い公演を伺ってみると、東海村にかつて存在した真崎城を舞台にした作品「真崎城の白百合姫」が挙がりました。
原作は、村の民話再生の会が作った紙芝居。戦争に巻き込まれて亡くなってしまったお姫様の話で、幼馴染との悲しい恋の物語を脚色して仕上げました。物語の背景を感じるためにみんなで真崎城跡地を訪れたりして暗中模索の中で作りあげたそう。
その他きつねと少年の交流を描いた「子ぎつねお万」も東海村の民話をモチーフにしたオリジナル作品です。
「20年舞台をやっていても『とみかるってなに?』と言われることもあります。民話のミュージカル化はなかなか無いので、普段演劇を観ない方にも注目してもらえるかもしれない。『とみかると言えばミュージカル』と誰もが知ってくれる劇団になれたらうれしいです」(近藤さん)
地域になじみ深い題材を取りあげることで劇団の認知度を高め、村民は観劇することで村の言い伝えや歴史について学ぶことができる。お互いにとってよりよい状況になるよう、試行錯誤を重ねているようです。
劇団内で進む世代交代。子どもたちに伝えたいこととは。
2023年2月現在の劇団構成員数は15人。以前は小学生だけで20人も在籍していたようですが、現在は小学生から大学生を含めて8人。あとはすべて大人の団員です。
「とみかると言えば子どもがいっぱいというイメージだったのに、ある時進学のタイミングでごっそりと抜けてしまいました」と浅利さんは少し寂しそうに言います。
稽古場にお邪魔すると、10代前半のキャストたちが講師の指導のもとダンスに歌にと練習を重ねていました。子どもたちのレッスンがひと段落すると大人たちの出番です。
「入団のきっかけは『男性役者が足りない』と知人に連れてこられちゃって。それ以来、辞めるタイミングを逃しちゃった」とおどけてみせた根本さんも、たったひとりの男性役者として何役も兼ねる奮闘ぶりを披露してくれました。
演出の近藤さんは役者として出演しながら、衣装のスタイリングやダンスの振り付けなど細やかな部分まで目を行き届かせていました。
団長の浅利さんは舞台監督として全体を指揮し、温かくも鋭い視線で見守ります。
主役の子どもたちがより輝けるよう、大人が一丸となってサポートする姿がそこにはありました。
「住民参加ミュージカルin東海村」時代にプロの劇団と共に舞台に立っていた近藤さんは、「プロ劇団の先生が演出指導をしていた時はもっと厳しかった」と言います。
厳しくも華やかだったプロ劇団との共演は学ぶことが多く、その楽しさを若い世代に味わわせてあげられないことを残念がっていました。
現在は入団希望があれば誰でも参加できる「劇団とみかる」。声楽やダンスの経験がなくても講師や団員によるレッスンで経験を積み、次回公演に参加できるよう指導しているとのこと。
また、ただ言われたとおりに動くのではなく「なぜこの役はこのセリフを言うのか」と考察して演技プランを構築できるようアドバイスしているそうです。
最初は難しいかもしれないけれど、ひとつひとつ課題をクリアすることで自信をつけ演劇の楽しさを知ってほしい、とこれからの世代に期待しています。
公演を観劇して。はばたく子どもたちを応援したい。
冬の気配が深まってきた2022年12月初旬。東海文化センターには、劇団とみかる令和4年度公演「幸福な王子」を観劇するためたくさんの人が集まっていました。
オスカー・ワイルドの名作を脚色した公演は、干し芋など東海村ネタも交えながら、時に楽しく、時に悲しく物語を紡いでいきます。派手な舞台セットはなくとも、照明や音楽、そしてキャストの演技で場所も時代も空間も変えていく演劇の醍醐味を味わいました。
物語の幕が閉じ、舞台上にキャストが揃うと、会場からは大きな拍手が送られます。
客席に手を振るキャストの顔は、公演を終えた達成感と感謝の笑顔に満ちあふれていました。
取材中の言葉がふとよみがえります。
「子どもたちが、普段関わることのない大人と交流ができるのが『劇団とみかる』。ここでの経験を糧にして、社会に出た時に周りとコミュニケーションをとったり、自分の意見を言えるようになったり、相手の気持ちをしっかり考えられる子になってほしいです」(浅利さん)
「子どもたちが『劇団とみかる』での活動を活かして、ひとつでも夢を諦めないですむようになったらいいなと思います。アイドルになりたいっていう子も、歌やダンス、演技のレッスンができるとみかる経験があれば無理な夢ではないかも」(根本さん)
「劇団とみかる」で学んだ子どもたちが、それぞれの夢をつかみ東海村で凱旋活動をする日が来るかもしれない。
そう思わずにはいられない、心温まる公演でした。
▼取材・執筆担当者
花島 絵美/インタビュー・執筆
生まれも育ちも愛媛県。就職を機に上京し、「推しごと」に関わるお仕事に従事する。いろいろあって東海村に引っ越しし、茨城県の食と景色と主婦暮らしを満喫中。古墳もあれば世界最先端科学施設もある東海村の魅力にはまり「T-project/東海村スマホクリエイターズLab.」に参加。「最推し」である東海村をたくさんの人に知ってもらうため活動しています。
佐藤信一郎/インタビュー
田中克朋/写真
秋田県鳥海山の麓に生まれ、就職を機に茨城県へ。東海村には50年近く在住。会社員時代にタイ王国へ出張も含めて通算8年ほど駐在し、現在も現地の人たちと交流をしている。趣味は写真をベースにインスタグラム等のSNSで村内の風景を発信すること。「T-project/東海村スマホクリエイターズLab.」では若い世代に教わりながら楽しんでいます。
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