大人になるってどういうことだろう
先日(映像研の)大童先生がご自身のYoutubeでライブ配信なさっていて、その時に大人になるってどういうことか、大人ってなんだろう?
というお話をしていた。先生はまだ30代前半だろうか。年相応にしっかりなさっているように感じたが、それでも理想の大人は?と聞くと(なんと答えてくれた)高畑勲さんとのことだった。理想が高すぎる。
私も日々その配信の思い出を心から取り出し咀嚼している。
大人になるとはなんだろうか。
私の理想の大人は山田五郎さんかな。
あと自分の祖父。
幅広い知識と、経験、面倒見のよさ、お金にも困っていない。
山田五郎さんは有名だからおいといて、祖父の経験は、自分で田んぼに水引いて、稲作ができるし、市役所勤務していたので決まり事など色々詳しい。お寺もなんか偉げな袈裟みたいなのもらうようなことをしていたし、お宮でもなんかしてた。あと神楽をずっとやっていて、子どもたちにも教えていた。近所のお年寄りを連れて九州あちこち旅行に連れて行き楽しませ、私たち孫が沖縄にいる時にはなんども会いにきてくれた。
翻って、私はどうだろう。田んぼもお米も作れないし、決まり事などには疎い。お寺ともお宮とも繋がりはない。音楽も踊りも素養はない。近所の人との交流もない。こんなうすっぺらいやつが果たして大人だろうか。
私ができることはせいぜいチラシを作ることくらいで、絵をちょっとかけるくらい。一応子どもたちを引率してプールに連れていくくらいのことはするけど、主催は娘だ。
徳を積むというのは、目の前にあるやらなければいけないことをちゃんとやること。ということらしい。おそらく祖父の場合その全てを引き受けてきたんだと思う。誰かやってくれないか、誰か助けてくれないかと言われたらはいよ!と手を挙げ、駆けつけてきたんだろう。
私はそれをことごとく避けてきたんだ。いや、一応時折引き受けてきた。
会社で経理をやるひとがいなければ引き受けたし、社会的には子供を産むことを引き受けた。その引き受けた徳の大きさや数が降り積もって大人になるのではないか。そうだとしたら私は小さいものを積み上げてゆくしかない。
週末の四十九日法要は姉も弟も徳を積むことを放棄した。親戚との関係性を放棄した。私は取った。一つ積めるのだ。私は大人になれるだろうか。
また定期的に思い出して書きたいし、その時はもう少し大人になっていれたらいいなあ。
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