『かぞくのくに』ヤン・ヨンヒ【映画感想】
amazonプライムでふと気になった作品。あらすじを一読し、政治寄りな話かな...と敬遠したまま、それきりに。しかし先日「2012年キネマ旬報ベストテン第1位」という外聞に見事に踊らされ、早速鑑賞。インディーズの中でもかなりの低予算作品とのことですが、予想を数段上回る傑作でした。
概要
ドキュメンタリー「愛しきソナ」で知られる在日コリアン2世のヤン・ヨンヒ監督が、自らの体験を題材に、国家の分断によって離れ離れになった家族が傷つきながらもたくましく生きていく姿を描いたドラマ。北朝鮮の「帰国事業」により日本と北朝鮮に別れて暮らしていた兄ソンホと妹リエ。病気療養のためソンホが25年ぶりに日本へ戻り、2人は再会を果たす。異なる環境で育った2人がともに暮らすことで露呈する価値観の違いや、それでも変わらない家族の絆を描き出していく。妹リエに安藤サクラ、兄ソンホに井浦新(ARATA)。 2012年製作/100分/G/日本
配給:スターサンズ
(出所:eiga.com)
※以下、一部ネタバレ含みます
"帰国事業"について
不勉強ながら、「帰国事業」というものについて、本作を見るまで全く知らなかった。1950年代から1984年にかけて行われた、在日朝鮮人とその家族による日本から朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮)への集団的な永住帰国として行われた帰国事業。いまでこそアジア最貧国として位置づけられる北朝鮮だが、朝鮮戦争終了後は韓国よりも早期の経済復興を遂げ、経済力でも大幅に上回っていたことも事実である。そのような中、朝鮮総連は北朝鮮を「地上の楽園」と呼び、多くのメディア、文化人、政治家、ついには日本政府までもが事業を後押し、結果9万人以上の人々が北朝鮮へ渡った。しかし彼らを待ち受けていたのは、差別と極貧、そして自由が完全に否定された社会だったという。
本作は帰国事業によって日本を離れたソンホ(井浦新)が、3か月という期限付きで、25年ぶりに日本へもどり、家族と再会するところから物語が始まる。
国家に翻弄される人たち
作品のあらすじ、および監督のヤン・ヨンヒが実体験をもとに脚本を執筆したということで、上述の通り、政治的メッセージが強烈な作品を予想していた。しかし、帰国事業を始めとする背景はあくまで背景としてすっぽり収まっており、その中で悩み、葛藤する家族・個人の姿がしっかりと描かれていた。
この映画の最も秀逸なところは、「全体主義という絶対記号」の国家の支配力の理不尽な構造の内実を、件の国家が振り撒く一切の暴力描写の挿入を確信的に捨てて、その国家に支配され、翻弄された一家族の内部関係のうちに限定的に特化して描き切るだけで、表現的な達成を成就し得たことにある。
(出所:https://zilgz.blogspot.com/2013/05/11_25.html)
他のレビューサイトからの引用であるが、まさに国家という"大きなアイデンティティ"によって家族・個人という"小さなアイデンティティ"が脅かされる人々の物語である。
俳優陣の高い演技力と鮮烈な存在感
上述の表現的な達成を語るうえで、まず目を見張るのが、俳優陣の高い演技力と鮮烈な存在感。主役級から脇役に至るまで、とにかく素晴らしい。妹リエを演じた安藤サクラは言わずもがな、母親役の宮崎美子や父親役の津嘉山正種、等々いずれも素晴らしい演技である(脇役だと、同窓会シーンでオネエを演じていた人なども最高でした)。
中でも個人的MVPは兄ソンホを演じた井浦新。作中、一度だけソンホが感情を爆発させる場面があるが、それ以外では抑揚が効いた演技で一貫している。それでもソンホの言動、仕草、表情の一つ一つから表出されるのは、その時々の感情の機微だけではない。これまで歩んできた過去、そして二つの"くに"の間で悩み苦しむ葛藤・背景までもが表現されており、まさに出色の演技であった。
「(中略)。物語自体に力があるからこそ、大げさに何かを表現するような演技は絶対にしないと決めていました。悲しい出来事を悲しく表現するのではなく、見る人に答えを提示するのでもなく、もっと生々しく感じてもらえるような芝居がしたかったんです」
(出所:https://www.cinemacafe.net/article/2012/08/02/13443.html)
(本作のインタビュー記事より抜粋。是枝裕和『空気人形』の井浦新も良かったですが、ここまで良い俳優だったとは...)
監視人ヤン
また本作では『息もできない』で主演・監督を務めていたヤン・イクチュンが、ソンホの監視人として北朝鮮より随行してきたヤン役を演じる。監督自身の実体験に基づいた脚本の中で、ヤンは架空の人物であったとのこと。ただし、ヤンは日本に暮らす家族の前で、ソンホの自由を奪う"北のシステム"を体現しており、物語上、非常に重要な機能を担っている。そのヤンに対し、妹リエが家の前で感情を爆発させるシーンが印象的だ。
リエ「あなたも、あなたの国も大嫌い!」
ヤン「あなたが嫌いなあの国で、お兄さんも、私も生きているんです。死ぬまで生きるんです」
(『かぞくのくに』より)
兄の自由を奪う悪しき国家システム、その象徴であったはずのヤンもまた、システムに包含された一個人、そしておそらく翻弄された一人であったのだ。ヤン自身にも愛する息子がいること、また帰国直前にソンホの母からの贈り物を前にし、寡黙な表情の中にも大きく感情が反応する姿が描かれていることからも、ヤンは単なるシステムの象徴としては描かれていない。ここからも「大きなアイデンティティ(国家) ⇔ 小さなアイデンティティ(個)」というテーマを感じ取ることができる。
本作が持つ普遍性
本作は北朝鮮という共産国家ないしは北朝鮮を"地上の楽園"と謳った帰国事業に対する批判、政治的メッセージがメインテーマとはなっていない。あくまで、その中で翻弄された人々の悩みや葛藤に主軸を置いている。そして、その物語からは事前の予想を上回る普遍性を感じとることができた。人間は一人では生きていけない。それぞれがある種のコミュニティ、組織、社会に依拠しているはずであり、結果複数のアイデンティティに依拠している。しかし、そのすべてのアイデンティティを100%両立させることはできないはずで、その中で悩み、葛藤し折り合いをつけようとする過程に、人の多層性と尊さを感じるのだ。
映画終盤、ソンホは愛する家族と絶望が待つ祖国へ向かう車の中で「白いブランコ」を口ずさむ。その直後、兄が購入しようとしたスーツケースを引きながら歩くリエの姿が映し出され、幕切れとなる。セリフらしきセリフはない。しかしそこには間違いなく言葉にはできない、まさに映像的カタルシスが詰まっていた。
以上
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<引用元>
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