どこでもドアの先の白い闇
いつかメモしておきたいと思っていたことを試しに書いてみる。
私の中学時代は「闇」の時代だった。
田舎の中学生の日々が、まるでドラマのようだったあの頃、私と仲間は、毎日を肝試しするように生きていた。
いじめとかではないけれど、ある一連のできごとのインパクトが強烈すぎて、それ以外のことが思い出せない。
思い出せない、のではなくて、潜在意識の中では、あの頃のことを「思い出したくない」と思ってるんだと思う。そっちの方が近い気がする。
すごく不思議だけど、その嫌なできごと以外はほぼ記憶から抜け落ちてる。
中学時代を思い返そうとして、記憶のドアを開けても、なぜか空白。
”中学時代” と 検索をかけて行き着くのはあの一連のできごとになっている。もう、なんなの!
思春期の大切な時期、自分が誰を好きだったかとか、どんな音楽が好きだったかとか、そういう大人になってから最も振り返りたい部分が、ほとんど思い出せないのは少し寂しい。全然甘酸っぱくない。
20年以上経って、今ここ。
「闇」は果てしなく続いてはいなくて、その後数えきれない程のカラフルな思い出がたくさんできた。
あの頃の「闇」は白い闇に形を変えたし、試された肝は今も元気にしてる。
そう考えたら、少し愛しい気持ちやありがたい気持ちさえ湧いてくるんだから、不思議なもんだ。
人って、いろんなものを栄養にしながら生きてる。
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