私たちを取り巻く「バイバイ、またね。」の事情
仲のよい男友達と2人で遊んだ後、駅で「バイバイ、またね」と切り出してから、それぞれのホームに向かい出すまでに時間がかかる場合がある。別れ惜しみというのか、なかなか帰してくれないあの感じ。
「このまま、できればバイバイなんてしたくない。朝まで一緒にどこかで過ごそうよ。」
友達の仕草、ことば、眼差しの端々に、そんな意味合いを感じてしまったことってないだろうか。私はあの時間が苦手で、居心地が悪くなってしまう。
今までフレンドゾーンにいた人が、自分とそれ以上の関係を求めているのでは・・?と感じた時の対処方法がよくわからない。多分その瞬間の私はすごく無表情で冷やかなのかもしれない。フレンドゾーンから伸びてくる両手から、思考回路の向こう側の壁をぶち抜けて全力疾走で逃げていく。そんなイメージだ。
ある年のGWのある日、最終新幹線が近づく名古屋駅でのことだった。
「あー、これから東京帰るの嫌だなあ。ホテルでも泊まろっかな?」と言い出して、こちらの様子をうかがっている風なTくんに対して、私は「ごめん、明日朝から潮干狩り行く予定入れてるから、私は最終の新幹線に絶対乗らないといけないんだ。GWで明日も休みなんだし、Tくんは泊まっていってもいいんじゃない?」と、GWっぽい小さな嘘をついて、Tくんを突き放してしまった。(注:西の私、東のTくん。その間に名古屋がある。)
思いがけない状況に動揺しながらも、土壇場に湧き出るフィクションライターのような一面が自分にはあるのだと思った瞬間であった。
友達と「明石に潮干狩りに行きたいねー」と話していたのは本当だ。実際には決行されなかったけれど。そんな釈明じみた後日談、あの時のTくんにとってはどうでもよいことだったはずだ。
私が嘘をついてまでTくんとのフレンドゾーンを確保しようとしたこと、そして、Tくんはそこから飛び出したかったということ。事実として残ったのは、そのふたつだけだった。
もうひとつあるとすれば、Tくんを傷つけてしまったかもしれないと、帰りの新幹線で気落ちしてしまった自分がいたこと、だな。
男女間の友情というのは、存在しないのだろうか。
* * *
ある秋の日。東京 ーー
友達の家に着いて1日を振り返り、「あー、すごく楽しい1日だった!」と思っている時に、Uくんはメールを飛ばしてきた。
「今日は楽しかったよ。次いつ会えるかわからないのに、また明日ねー、みたいな感じでサラッと軽く別れちゃったね。明日もし時間があれば、また会えないかな?なんて思ってるんだけど。」
あの時は叫び声を押し殺しながら、床に転げて喜んだのを覚えている。
東京訪問中は過密スケジュールを組んでいたため、翌日に会うことはなかったのだけれど、喜ぶのはタダだし、誰も傷つけない。
趣味を通じて知り合ったUくんとは、年齢や置かれた状況も似ていて、すぐに仲良くなった。西と東で離れていたので、会えるのは年に2、3回ではあったけれど、いつからか密かに私は彼に好意を抱いていた。
Uくんとの「バイバイ、またね」は、いつも一瞬で終わった。
何の期待もしない、次はいつだかわからない、でも、執着はしたくなかった。私は自分の「もう少し一緒にいたい」という気持ちがこぼれてしまわないように、必死にその場を演じ切っていた。
名古屋駅の惨劇の二の舞にならないよう、無意識のうちにそうすることを選択した結果だったのだろう。自分は傷つきたくなかったし、相手に嫌な思いもさせたくなかった。その上、私の場合は、物理的な距離の問題(さらに遠くに飛ぶことが決まっていた。)で、Uくんと描く未来が存在しないことを知っていたので、このままの関係性でいることを、もう自分の中で決めていたのだった。
そんな私に、容赦なくUくんは・・Uくんは!!
「バイバイ」が一瞬すぎたことに気づき、また明日も会いたい、と正直に言ってくるこの人は罪なヤツだと思った。それは私がUくんに対して、Tくんが私に対して、出したいけど出せなかった、ギリギリのところで後ろ手に隠した一手なのだ。今思えば、翌日も会いに行かなくてよかった気がしている。
男女間の友情は、やっぱり存在しないのか!?
* * *
Uくんに数年ぶりに会った。私には7年間人生を共にするパートナーがいて、Uくんにも「パートナー」がいる、とのことだった。それは自然な流れであり、そこにショックを受けることはなかった。
そう、ショックは受けなかったのだ。むしろ、これまでの全てが一気に腑に落ちたような気がしただけ。
Uくんの「パートナー」は男性だった。
* * *
異国の地での7年ぶりの再会も、いつもと同じように一瞬のサヨナラで終わった。そして、家に着く頃、以前と同じように、UくんはLINEを送ってきたのだった。
「またもや、また明日ねぐらいの感じで別れてしまったけど、近いうちにまた会おう。」
Uくんは、かつて私たちの「バイバイ、またね」がどんなものであったかを覚えていた。そこに私が隠したモノには気づいていなかったはずだ。こぼれ落ちなくてよかった。Uくんは罪な人ではなく、本当に私のことを友達として大切に思ってくれていたのだと思う。そんなことを考えていたら、私はUくんに翌日も会いたいと伝えずにはいられなくなってしまった。
* * *
私は所謂マジョリティに属する人間だが、みんなそれぞれ違って、みんなそれぞれに幸せでいられるなら、それが一番だと思っている。何しろマジョリティであるこの人生しか体験したことがないのだから、自分に理解があるかどうかはわからない。でも、みんな持っている物差しは違うのだから、他の人の幸せを自分の物差しで測ることなどできないと思っている。
Uくんがサクッとカミングアウトしてくれたことに対して、一番最初に自分の中に生まれたのは嬉しい気持ちだったので、素直にありがとうと伝えた。もちろん、過去の叶わぬ恋心のこともあったので、いろいろな思いが交錯したのは事実だ。Uくんとは、人生の問題の数々について語り合ってきた。彼が私に見せてこなかった部分が、大きく重いものでないことを願った。と同時に、知らず知らずに傷つけていなかったかが心配になったりして。
そして、最後に行き着いたのは、「私たちはようやく、同じ土俵に立てたのかもしれない」という思いだった。過去の想いを葬りつつ、新しい私たちの友情の形を想像して笑顔になった自分がいた。
翌日、お別れの時に、「この国じゃコレが普通だからね。」と言いながら、ギュッとUくんをハグした。能天気な顔して実はいろいろなものと戦っているのかもしれないし、戦っていないのかもしれない、愛しくてたまらないこの友達。また会う日まで、ちゃんと覚えていられそうな、そんな大切なハグだった。
* * *
気づけば3週間以上、大きな感情のうねりに頭をかき乱されて、noteに書くことを諦めそうになってしまった。それぐらい、大切なできごとだった気がする。さて、2020年、始まり始まり!
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