人類を不幸たらしめるもの
結局人類ってのは
自分の人生を呪っていて
「なんで勝手に、こんなクソみたいな人生に」
いやひいては
この生まれてくるシステムそのものにブチギレているのだと思う。
だから、少しでも「生まれてきてよかった」と必死に取り繕いたくて
「これをやりに来たんだ」て言い聞かせて生まれてきたことを正当化して納得して生きるために
やれ天職とか出会いとか探して
「あなたに会うために、これに会うために生まれてきたのね」
とかって美談にしたがろうとする。
そのために努力して誰かや何かを探したり成し遂げようとして
できなかったら他人や境遇のせいにするけど
本当の根本、本質には
「産み落としやがって」
みたいなのがあるんだろう。
自分で生まれてくる前の記憶とかがあれば別だけど、大半はないやろうから。
今流行りの異世界転生も、チートに本質があるわけやなくて、自己選択権、自己決定権がある、自分でスペックを選べるところに根本的なカタルシスがあるんやないやろうか。
スピの世界では、やれ、ワンネスじゃ味わえないものを味わいに来たとか
地球にくるのは順番待ちでとか言われるし
本当に、それらの記憶や叡智にアクセスしてリアルに体感できる人はいいやろけど、
そうじゃない人間は、ずっと、それらがどこか、押し付けの知識のままで
「こんなクソシステムのもとで産み落としやがって」という恨みは消えないんじゃないかな。
一言でいえば分離感、なのだけど。
創造主の視点を思い出せない、というシステムへのブチギレ。恨み。
それさえ克服できたら、思い出せたら、体感できたら、あらゆる人類の悩みはなくなると思うのだけどどうやろか。
そして、それを可能にする視点に立てば、そのシステムを変えるな。感謝をもって。
クソシステム、と罵りまくっているけど
変える視点、となると不思議と「クソ」なり、あるいは「尊い」なり
なんらの形容詞も出たこず
フラットにただ、「そういうシステムだと、こういう感情になって、こういう現象が起こるんだね、ありがとう」となる。
でも、次に「じゃあどんなシステムに、次する?」となるとまた
「こんなクソシステムやなくて…」と「クソ」が復活する笑。
つまり、「変えたい」となった途端に否定が出てくる=システム変化できない視点が出てくる
どうやらそういう法則のようだ。
なので、ありがとう、という視点で、この天につばを吐く怒りが溶けたあとに勝手に起こるなにかが、あたらしい世界なんだろう…。