赦ししかない世界
頭で「赦すべき」と思っているうちは
赦さないことができる。
だが、ひとたび、真実が内側に溢れてきたら
どんなに絶対許したくなくても、許すべきではないと抵抗しても
逆らえない。
何故なら、「赦し」は無限だから。
有限である人間に対抗できるはずもない。
許したら損なのに…私が許したら…私は、女性は、同じ目に遭った人は…
あいつらは許されて
私たちは許して
結局やられ損で…ロクに補填もされなくて…
のうのうと、やつらは許された!と解放されて…
せめて罪人でいてくれたらいいのに
私だけが被害を受けて…
被害は元に戻ったとしても、傷を過去に受けた事実がある以上、なんか損な気がして、不公平で…
あっちが、不幸になってやっと均衡が保たれるのに。許してしまったら。やつらが不幸になって同じ目に遭うチャンスがないまま
私だけが損をして…。
だけど、それでも、どんなに計算が合わなくても
無限なる赦しが開いてしまって
その赦しは、私に「ゆるせ」と願うことも命じることも頼むことも祈ることもない。
ただ、赦している。全てを。
私は許せない。許したくない。許すのは不公平、不均衡だから。
だけど、赦している存在が私の中にある。
大いなる存在がある。
小さな私は、有限な私では太刀打ちできない。
大海に人間1人が抗えないように。
空には人間なんてどうしても包まれてしまうように。
私が許すのではない。私は赦される存在である。いや、赦される事象である。ただの対象である。
そして赦している偉大なる私こそ真実であり、存在である。