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はじまりは

いつのまにか、楽しくて仕方なかった文章を書くという行為が億劫になってしまったように感じる。

その時村上春樹も29歳だった。

先日、村上春樹の「職業としての小説家」をオーディブルで聞いていた。
村上春樹が小説を書き始めたのは、29歳。「風の歌を聴け」だ。
初めて書いた作品で、村上春樹はデビューをしたのだ。

小学生の時から小説を書くことが大好きで、高校は文芸部で小説を書いていた。
大学でも日本文学科を選択し、現代小説の創作ゼミを専攻していた。
今も書いているかと思えば全くそんなことはない。
ゼミの卒業制作の小説を書いたときに「多分、これが私の最後の小説になるだろうな」と、なんとなく私は確信したのだ。
それから小説は一文字も書いていない。なんというか、もう書けなくなったのだと思う。

夕方に照らされた道を自転車でフラフラと帰っていた高校時代の帰り道。
家に帰るのが嫌で嫌で仕方がなくて、どこか遠くに行きたいと思って当てもなく原付で彷徨っていた夜。
そんな時にいつも思い浮かべていたのはここには存在しない物語だった。
自分だけの物語を想像することで、私は私自身を慰めていた。
主人公の女の子を救うことで、私も救われた気がしていたのだ。

でも、もう書けない。

大学を卒業して仕事が始まって、考えることが多くなったからかもしれない。
もう誰かに見てもらう機会がなくなったからかもしれない。

村上春樹が言っていた。

小説を書くことはローギアで行われる作業だ。歩くよりはいくらか早いかもしれないけれど、自転車で行くよりは、遅い。

私はそのローギアの作業のペースに耐えられなかったのかもしれない。

そうやって大人になっていくことに見切りをつけて、小説を書くことにも、
読むこと自体にも、少しずつ距離を置いていたように感じる。

そんな中で、村上春樹が小説を始めて書いたのが、今まさに私と同じ年であるということに、私はかなりの衝撃を受けた。
もうとうに過ぎ去ってしまったと思っていたものが、まだ始まってもいなかったというか、なんというか、そんな感覚だ。

大人になって、笑って流したワタシ。

先日、仕事仲間との飲み会があった。
仕事は高校の国語教師をしている。飲み会は国語科の同期と、その知り合いの先生たちだった。
その飲み会で初めましての先生が「凪良ゆうの小説は、携帯小説だ」と言っていた。

なんだか悲しくて、辛かった。違うよ、と思ったのに、言えなかった。ただ笑っていただけだった。

凪良ゆうの小説は、綺麗だと思う。私にもあんな綺麗な物語が描けたら良かったのにな、と思う。
小学生の時はブログ、中学生の時は、魔法のあいらんど、高校生の時はモバスペブック、大学では小説家になろうなど、色々な媒体で小説を書いていた。
正直、携帯小説を書いていたことを黒歴史だとも思っていない。

「凪良ゆうの作品は読みやすいし、綺麗だし、携帯小説は私も書いてた」
そのようなことを言えなかった私に後悔した。
あるいは、細々とでも今も小説を書き続けていたのなら、そんなことが言えたのかもしれない。
あの時感じたモヤモヤした気持ちは、きっとずっと消えないし、忘れたくないな、とも思っている。


noteを始めてみて、何を書くかはまだ決まっていない。
小説をまた書いてみたい、と思う気持ちはあるけれど、書ける気がしない。
小説を書いていた時に浮かぶ、あの、頭の中の映像が全く再生されないのだ。

仕事のことを書くかもしれない。
小学生の頃から国語が大好きだった私は、いまだに国語の授業にワクワクしている。

趣味のことについて書くかもしれない。
読書はやはり趣味と言い続けたいし、読書記録は今後の役に立つかもしれないから書いておきたい。
編み物の作品が完成したら誰かに見せびらかしたいから、ここに書くかもしれない。

ここまで書くまでに約2時間もかかってしまった。
書こうと思い立ってから書き始めるまでは2週間もかかっている。

冒頭にも書いたように、昔はどんな文章も書くことが楽しくて、スラスラと書いていた。
クラスで一番最初に作文を書き終えるような、そんな人間だった。

大人になって、具体的にいうと国語教師になって、こんな文章の構成は変ではないか?この言葉の使い方は合っているのだろうか?という邪念が邪魔をして、文章を書くことを億劫と感じるようになった。
でもやはり、楽しさは変わらない。

文章を書くリハビリができたらいい。
もし見守ってくれる人がいるなら、そんな暖かい気持ちで見てくれたらいい。

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