公共事業の反対運動の終わり方。惰性と正義感と生きがいの狭間
ある公共事業に、付近の自治会全体で反対運動を起こした事例があります。
活動は効果を発揮し、事業が止まることはなかったものの、住民に譲歩した形となって行きました。
多くの住民が容認するようになった中、公共事業計画が着工するのですが、熱心に活動を続けたがる方達がいました。
住民間に温度差が生まれ、摩擦が起こります。
その実例をお知らせします。(私の実体験です)
熱心な反対運動が起こるまで
閑静な住宅街に、ある公共事業の開発計画が持ち上がりました。
今から30年近く前のことです。
住宅街を一部横断する形で計画されていることを知った住人たちは、怒り心頭で役所に抗議をしました。
外部の人間が出入りしない、まさしく閑静な住宅街であるはずのその土地に、多くの工事業者が出入りし、不特定多数の身元が分からない人間が出入りする……。
住人は挙って公共事業に反対する意思を表明し、自治会に「反対運動委員」を設けて、継続的に活動していくことになりました。
反対運動の足並み
しかし工事のために必要な土地の買い上げが始まると、一軒また一軒と、家を手放す人が現れました。
抵抗したところで公共事業は強行されるし、不毛な争いをしても得られるものはない。新天地に移るのも一興、と割り切るようになっていったのです。
買い上げられた土地にはフェンスが張られました。
住人は反対の意思を表すべく、工事反対の横断幕を作ってフェンスに貼りました。
住人は大学教授や研究機構の手を借りて、地層や地上にもたらす公害について調べました。
また、住人の住環境を守るために工事の方法についても、強く意見をし続けました。
役所と工事業者と住民の譲歩
公共事業の工事が遅れているのは、この地域だけでした。
別の地域では若干の住人が反対をしたのみで、大きな運動にはならず、すんなり工事が進んでいきます。
社会的地位がある住人が多かったこともあり、良くも悪くも一度言い出したら聞かない傾向がありました。反対の仕方もまた根拠を示して申し立てたことから、何度も説明会が繰り返され、役所や工事業者が住人の提案した方法をのむようになりました。
長い時間をかけて工事方法の譲歩がされたこともあり、反対する住人はどんどんと減って行きました。
公共事業の反対運動の終わり方
私がこの土地に引っ越しを決めたのは、このころです。
反対運動があることを知っていましたが、工事は進められ始めた頃でしたし、予め計画を知っていて引っ越しを決めたため、むしろ早く工事を終えてほしいと願っていました。
良い土地を選んだと思ったのですが、一つ気になるのが、自治会の「反対運動委員」でした。
実際は「反対運動委員」なんて名前ではありません。
一体何の役割を果たす係なの? と何ともよくわからない名称で、〇〇委員と名付けられていました。
様子がよくわからないまま順番で回ってきた「反対運動委員(仮称)」の担当になって、初めて活動内容を知ります。
発足当時から何十年も公共事業に反対する方達がおり、その補佐を自治会員が順番に担当しているのだとわかりました。
続きはこちらで読めます☟