見出し画像

No10.勉強する意味とは?

こんにちは、磯崎玻璃斗です。

受験シーズン真っ只中で、学生さんにとっては大事な時期かと思いますがどうなのでしょうか。かく言うボクも今から7.8年前は受験生だったわけで、この時期は大学の二次試験に向けて勉強していました。

センター試験で失敗(と言いつつも日頃の模試でそこまで高い点数取っていたわけではないですが、、)し、受験しようとしていた医療系の学科には到底点数が届くわけでもなかったため、とりあえず化学の学科がある地方国立大学を受験する事にしました。

結果としては何とか合格する事ができたので、良かったなと思いましたが、自分なりにはちゃんと勉強していたつもりなのに思うように伸びなかったなと悔しさもあります。

今振り返るとその選択は間違っていなかったと思います。と言うか今の人生が楽しいので、過去の出来事なんてただの結果に過ぎないんだなって思います。

つまり言いたい事は、
「目先の事を一生懸命頑張っていれば、その時は自分の納得いく選択ではなかったとしても、今思えばその選択でよかったな。過去の出来事は変えられないけど、その捉え方は変えることが出来るな」って後々思えてくるものです。

自分の望み通りに行かなくて悲しい思いをしたり、自分に腹立たしく感じたりするのはあるかと思いますが、その結果をしっかり受け止め、これからを努力していく事ができればヒトは成長していくものです。

社会人の勉強時間は6分と言うのを聞いた事があります。(本当かどうかは分かりません)コレがもし本当なのであれば自分の成長の可能性を自分で抑制していることになります。
せっかくこの世に生を授かったのに、世の中知らない事だらけだったら飛んだ機会損失ですよ。。

私たちは「今」を生きているわけで、地球の誕生からしたら46億年のうちのたった数十年ですよ。そして人類はその謎をコレまで研究者や学者などによって解明されてきています。
人類が成し遂げた知の蓄積を何故学ぼうとしない?

「なぜ勉強しなければいけないのか?」。皆さんもそうだと思いますが、その問いが子供の頃の1番の疑問でした。「国数英理社などなんの役にも立たないじゃないか」なんて思っていたりもしました。

確かにそれらだけを切り抜いて勉強しても、何か今の私たちに役立っているかと言われたら直接的には役に立っていないかもしれません。文字が読めたり、コンビニでお金の計算が出来たりするくらいでしょうか?
しかし世の中はコレらの科目の掛け合わせで成り立っているのです。私たちが何気に使用している、スマホや電化製品、車なども理系チックな学問から生まれています。また、旅行先での地名や地理的環境、郷土料理、そこで使われている文字や言語など、今そこにある物体が何故そこにあるのか、何故その場所じゃ無いといけないのかなど歴史を学ぶ事でそれが分かったり出来ます。

ボクは知の達人や東大王などと比較したら、まだまだ世の中の事なんて全然理解していませんし、何が自分にとって知らないのかも知りません。
知的探究心はいろいろ勉強していく中で、理解したある点とある点が結びついた時に出来るその空洞部分のことだと思っています。(伝わりますか?笑)だから知らない事を知らないなんて事はまだザラにあります!

ボクも今勉強中で、ようやく経済が分かったり、なぜロシアがウクライナに戦争を仕掛けたのか?何故中国とアメリカが冷戦状態にあるのかなど少しずつでありますが、謎が解き明かされつつあります。

要するに勉強する意味をボクなりに簡単に表現すると
「メガネをかけて解像度を上げるため」かなと思います

何かを勉強すれば、経済や政治、歴史やテクノロジーが芋づる式にどんどん分かってきて、そして新たな疑問が生まれ、それを解明してって、、、、それが楽しいんですよ。
コレはそうなった方がある人にしか分かりません。だから、強要するのは良くないかと思いますが、世の中の真実を知っておいても損はないんじゃないかと思ってます。ぜひ皆さんも興味があることから勉強してみて下さい!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?