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最愛のあなたへ


昨年、最後の雪がなくなりやっと長袖一枚で出かけられるようになった頃

1,499円という値段が信じられないほど丈夫な相棒ともいえるワンピースをまとい、朝7時の通い慣れた病院へ。

「うん、ちょっと開いてきてますね。このまま入院しましょう。」

それから約一日後。


わたしは1人で、はじめての出産をした。

某ウィルスの影響で、入院中の面会はおろか、立ち合いも許されない状況だった。深夜帯から陣痛が強くなっていったが、たったお2人で10人近くの妊婦をケアするスタッフさんを呼ぶのも気が引けて、1人でひたすら唸り続ける事、約9時間。(恐らく短い方なのでまだ良かった…)

裸じゃまだ寒いのよと言わんばかりに、へその緒を首に3巻きもして、娘は生まれてきた。


「2020年に生まれるの?オリンピックベイビーだね!」なんて言われていたのに

「2020年に生まれるの?かわいそうに…大変だね」になってしまった、誰にとっても大変だった一年。その最中に生まれてきた、娘。

でもそんなことはどこ吹く風と、娘は大きな声で泣き、ごくごく乳を飲み、黒緑色のうんちをたくさん出し、すやすやと眠った。

明日世界が終ろうという日に生まれてきたとしても、赤ちゃんというのは特別に素晴らしく愛おしい存在なんだと、心の底から思った。

あれよあれよとものすごいスピードで成長していく姿を、毎日iPhoneの容量とにらめっこしながらカメラに収め、某ウィルスのため会うことのできない遠くの両実家の家族へと送る。

両親と義両親(義父は他界してるが)にとって初孫というアドバンテージを知らないうちに握っている娘には、いつ着られるのだという大量の服、ネズミーの絵本を良い声で読んでくれるプロジェクター、しまいには義実家と仲のいいご夫婦からのお年玉などなどたくさんのプレゼントが舞い込んできて、「初孫パワー、おそるべし…」と右往左往している。


「目が合うようになってきた」

「え!寝返りしてる!」

「爪でお顔をひっかいて大泣き」

「こっちみて、笑った!」

小さな初めてや尊い瞬間たちが風のようにどんどんと過ぎて行ってしまうのに

体力と神経が音を立ててゴリゴリと削られていき、目を閉じて一息つくと次の日になっている慌ただしい毎日。

某ウィルスに怯え外に出ず、誰かが訪ねてきてくれることもない、家の中ニ人だけで過ごす代り映えのしない日々。

今日もまた、いつもと同じ一日になってしまった。本当に、これでいいの…?

夜寝られないのは日中の過ごし方が悪いってこのサイトに書いてある…

同じ月齢の子とどうしてこんなに違うの?

夜泣きがひどいのは私のせいだーーでも何を直したら…!


泣き叫ぶ娘を抱き、声を殺して泣く日々。

いくら検索しても解決せず、開きっぱなしになっている沢山の検索ページ、読めないままどんどんと積みあがっていく育児書。

そしてまた巡ってくる、変わらない一日。


このままじゃ娘が可哀想。

―私は、人の親に向いていないーー?


そんな時、iPhoneが震えた。

「どうですか?ちゃんと、食べて、寝て、いますか?」

ダークサイドに落ちかけるタイミングで届いた、還暦を過ぎた母からのまだぎこちないLINE。


安堵のような申し訳なさのような気持ちで、家中が水浸しになるんじゃないかというくらいに泣きながら、指先では

「大丈夫!今日も可愛いよ」

という文字と、今日一番のかわいい娘の写真を送る。

「かわいいね。その、お洋服。にあっているね。」

「うん!だいぶぴったりになってきたでしょう~すごいね、何もしてないのにちゃんと大きくなるの、えらい~天才うまれてきちゃった!」

いつものようにと返事をしてみる。いいタイミングで連絡をもらえて助かった。気持ちを切り替えよう、お昼寝してくれているうちに洗濯機回さないと…今日はご飯も炊かなきゃ…とiPhoneをしまおうとすると、短い文章をやっと繋いで連絡をくれる母が、はじめての長文を送ってきた。


「あなたが、毎日毎日、時間も、手も、心も、すべてかけて接してるから、ちゃんと、大きくなるのですよ。

こんなご時世だから、誰の力も、借りられず、頼れず、一人で、背負い込んでいると思います。偉いよ。本当に、すごいよ。

でも、あなたには、夫という、素晴らしいパートナーがいて、遠いけれど、私たち、家族がいます。

もっと力を抜いて、日々を、一瞬一瞬を、愛して、楽しんで、生きてください。」


日本が沈没してGoogle Mapから消えてしまうくらいに、泣いて、泣いて、泣いた。


そうだ、そうだった。私には、味方がいる。

何とか仕事を終え、一目散に帰ってきて家事をしてくれる夫がいて

私の負担にならないように娘の発達度合いなどは一切聞かず、必要そうな物だけ送ってくれる義母がいて

1を聞けば100返してくれる、頼もしい大先輩、母がいるのだ。

一緒に喜んで、悩んで、助けてくれて、幸せを分かち合える人たちがいる。


私を一人にしていたのは、私自身だった。


それに気が付いてからは、

「わからないことはすぐに聞く!」

「泣き止まないときは泣き止まない!そのうち寝る!」

「起きてるときに全力で向き合えば120点!」

「毎日毎時毎分毎秒最高最強我娘激可愛――――!!」

と、「すべてのハードルくぐります党」の党首として私は目覚ましい成長を遂げた。

よくある月齢と発達を示した表とくらべ、娘ができていないあれこれに関しては

「ずっとこのまま赤ちゃんでいたらいいよ、ずーっとおかあさんといっしょにいようねぇ」と喜び

喉から血が噴き出すのではと思うほどの夜泣きは「泣きたいの?…わかる。そういう日あるよね、付き合うぜお嬢さん」とバーで勝手に知り合おうとしてくる知らんおじさんを装い

食べた瞬間「うえぇえ…」という表情をし服から椅子から床からすべてを汚していく魔の離乳食タイムも「その顔までもが可愛すぎる…ッ」と一人悶え

あの頃の私が見たら「…壊れてる…」と言われてしまうだろうお気楽のーてんき母ちゃんライフを満喫できるまでになった。


そんな折、探し物をしていたら偶然、母からもらった私自身の母子手帳がでてきた。

「そういえばもらったきりだったな」と何気なく開いてみると、真っ黒だった。お米に書くサイズの文字で、ありとあらゆるページがこれでもかと埋め尽くされていた。

それでも足りないと、何かの裏紙を切って付け足してまでびっちりと、0歳からの私の成長が記されていた。

「全然寝ない。ずっと抱っこ、ずっとおんぶ。」

「熱が出て○日目。苺しか食べない。死なないだろうか。」

「スプーンを握りたがるので小さいものを渡すが、大きいものがいいと泣き叫び、スプーンが宙を舞う」

「スイカがたべたくて、『しーか!しーか!』という。お店のスイカに抱きつく。負けた…買ってしまった…」

「ごはん中に眠ってしまい椅子から落ちた。スプーンは握ったまま。信じられない。誰に似たのか」

「おむつが取れた!頑張った、えらい」

そこには等身大の、悩み、苦しみ、我が子の成長を一つも取りこぼさないぞと、心の底から慈しむ母親がいた。

アメリカもユーラシアもヨーロッパも、全大陸が小さい島々になってしまうくらいに、泣いた。泣いて、泣いて、泣いた。


こんなにも、愛されて生きてきたんだ。

だったら、大丈夫。

わたしもきっと、海の水を蒸発させ、また今の世界地図に戻せるくらいの情熱で、娘を、家族を、私の人生を愛せるはずだ。


私の根っこを育ててくれて、花が咲いた今なお愛し続けてくれる

最愛の母へ。

いつも、いつも、ありがとう。

最愛の娘より。

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