初めて統合失調症になった時の記憶
こんにちは。きりんなべです。
久々にマンガ喫茶のパソコンの前に座っているので、
何かダラダラ書きたいなぁと思いタイトルを考えていたのですが
いかんせんイベント疲れで頭が働かないので
ちょっと重い様な内容を適当に書いていこうと思います。
久々のnoteでもあるので、小見出しみたいな器用な事もできません。
ダラダラと書きますのでご容赦下さい。
自分が統合失調症だと診断されたのは、もう27年も前の事です。
症状としては気性が荒くなり、手に負えない位の言葉使いをしたそうです。
そしてその時浮気していた男(こいつも若干精神を病んでいた)と
近隣の県まで逃避行のち、その男でさえも私が手に負えなくなり
当時付き合っていた彼氏(のちの今の旦那)にヘルプを出し
最終的に精神病院にブチこまれたのでした。
まず精神病院に入ると独房の様な部屋に入れられます。
監視カメラがあり、トイレが床に設置されている状態の部屋です。
外界との接触は遮断され、赤いランプの元で生活をします。
人はドーパミンが出過ぎる事により
統合失調症の症状が出ると言われています。
独房に入れられても薬が効いてくるまでは元気に動き回ります。
ドーパミンが出ているので、独房でも楽しいのです。
しばらく日が経ち、薬が効いてくると活動がおとなしくなり
集団病棟に移されました。そこでは色んな人がいました。
どこでもおしっこをもらす人
なんでもとりあえず口に入れる人
最初は仲良くしていたのに、急に態度が怖くなる人
本当様々な人がいました。
精神病院なので、統合失調症の人だけではなく
双極性障害の人や鬱の人もいるので、
病棟は動物園の様でした。
私はその中で薬で少しずつダウンしつつも
何かをしていないと落ち着かないという状態だったので
ずっと手紙を書いていた記憶があります。
内容こそ支離滅裂で、今読んだら銀河まで飛んでいきたくなる位
恥ずかしい内容だったと思ってはいるのですが、
それでもいろんな人に今こういう状況なんだという手紙を書いていました。
(手紙は旦那宛て以外全て処分したような気がします)
薬が効いてくると、今度は超無気力になります。
当時の薬は今に比べて強さのコントロールができないのか
一気にそれは来ました。
その症状を見て、両親は私を集団病棟から個室へ移動させました。
移動先は居心地がよく、面会をしやすくなったので両親は喜びましたが
私は騒がしい動物園から静かな個室に移されとても寂しかったのを覚えてます。(個室の人と集団病棟の人は院内でも会う事ができなくなる為)
かと言って、”寂しい”という言葉も出ない位に強い薬を与えられ、
ごはんを食べてうんこする位しかできない自分がいました。
この状況で自分がどう変われるか?
もしくは一生このままなのか?
そんな事も考える事ができないまま数か月過ごす事になります。
※後で知ったのですが、統合失調症の人が寛解
(完治とは違うが薬で症状が抑えられている状態)する前
こうやって一度無気力な状態になりそこから復活するのがデフォみたいですね。
そうこうしているうちに、無気力の私を見て先生が
「とりあえず退院してもいいよ」
と言ってくれたので、めでたくなのか退院の運びとなりました。
当時は何か月かかったのかもう覚えてないのですが、
かなりの時間病院にいたと思います。
そして、病院からもらった大量の薬を飲みながら
家で横になりっぱなしの人生を数か月送ります。
身体を動かすのも辛く、横になりながらテレビを見て一日が終わる日々
そんな中でもふと思い出すのは旦那の事でした。
「旦那に会いたい」
それだけ言って泣いた私を両親が見かねて
旦那に相談し、私たちは同棲をする運びになります。
……とまぁ綺麗には書いておりますが、色々な部分は濁しております。
その後も断薬してしまって再発したり、
薬の効き目以上に症状が出てしまって再発したり、
その度に病院にお世話になったりしたのですが、
ここ10年は合う薬のおかげで、寛解に持って行けてますし
「あ、今ちょっとヤバいかも」という前兆にも気付ける様になりました。
(大体は薬の血中濃度が低くなっている=水分とりすぎなど)
何故これを今書いているかというと、
平穏な時間が10年経った今だからこそ
ログとして取っておこうという気持ちができたから。
もっとちゃんと思い出せればいいのだけど、
なんせ20年以上も経っているんで思い出せる範囲ですいません。
ひとまず初めての統合失調症の記録としてはこんな感じで。
また機会があれば、色々書いていきたいかなと思います。
ではでは。