「俺の人生」を読んで思ったこと

俺の人生(アーカイブ)を読んで思ったことを綴っていきます。

コミュニケーション不足?

あと確か、俺が小6の頃のことだと思うけど、
俺は静江さんに、「運動会のお昼はコンビニのおにぎりで良い」と言ったんですけど、
そしたら運動会のお昼の時に静江さんが、コンビニ袋に入ったままのコンビニのおにぎりを俺に渡してきて、
俺の向かい側にいた親子連れのお母さんに、目をまん丸にして驚かれたんですね。
だから俺、すっげー気まずい思いをして、
「何でお母さんは弁当箱に詰めて持ってこないんだよ…」と思ったのを覚えてるの。

…う~ん。

俺がイメージしていたのは、
コンビニのおにぎりの封を切ったやつをお弁当に詰めたやつだったんだけども、
…まあ、俺が悪いのかな?

俺の人生

コミュニケーションが成り立っていない、だるまさん本人もコミュ障と自称しているが、静江さんもコミュニケーションというか会話の何かが足りていないのかもしれない
 家族で日常の些細なことで行き違いが生じていて、話すことも億劫になる環境だと生きづらくなるのも当然かと思う。

実家でも素でいれない

家にいるのに感情を表に出せないんですよ。



もっと具体的に言うと、

勇さんが中学校に進学した1996年位から家の雰囲気が悪くなって、

それからは、例えば勇さんが家にいるときは、テレビを見ても声を出して笑うこととか出来なくなったんです。

なんというか、感情を表に出すと、気まずい雰囲気が流れるんですよ。

俺の人生

家にいても感情を自由に表現できない、それが幼いころからだるまさんのDNAに刻まれたのだろう。

静江さんのちぐはぐさ

書き途中。
静江さんが優しすぎた?

だるまさんが伝えたかったこと

…別にね、このホームページを見てる人に同情してほしいわけではないんですよ。

じゃあどうして欲しいのかと言えば、謙虚さを学んでほしいですよ。



謙虚さというのは、自分が恵まれたことに気が付いて、その事に感謝出来るかどうかなんですよ。

そして俺はね、環境にも才能にも恵まれなかった日本国民なんです。

だからね、大抵の日本国民は俺よりも恵まれているんですね。



でも、みんな俺みたいな人間に説教したがるじゃん。

俺はね、そういうやつに言いたいんだよ。

「お前はただ、環境や才能に恵まれただけなんだよ。だからそれに感謝して慎ましく生きてろよ。」とね。

俺の人生

これに尽きるのではないかと思う。

勇さん

…で、勇さんの話に戻すけども、

だからその、勇さんが中学校に進学した1996年からは、

俺は勇さんが怖くなって、家の中でも徐々に感情を表に出せなくなったんです。



例えば、テレビを見て声を出して笑うことが出来なくなったんです。

でもそれはお互いそうで、勇さんも基本的には声を出して笑うことはなかったです。

でも勇さんの友達が家に遊びに来た時とかは、普通に笑ってました。

俺はビクビクだったけども。



あとなんか、エレキギターを買ってよく練習してたから

それがうるさかったです。





それで勇さんは、俺が1999年の3月に中学校を卒業したけれども、

高校には進学せずに、そのまま中卒ニートになりました。



だけど確か、静江さんのお兄さんのコネかなんかで、

一時期ペンキ屋の仕事をしていた気がするけども、

いつの間にかやめていました。

俺の人生

前田家の家族構成は母静江さん、父元さん、長女瞳さん、次男勇さん、三男健(たけし)さん、四男だるま(仁)さんです。
勇さんが中学校に上がったことが家庭内不和のきっかけとなったことが書かれています。

健さんの謎

★健さんと仲良くなり始める

まあ、タイトル通りなんですけど、幼稚園の頃に健さんと仲良くなり始めたんです。はい。


仲良くなったきっかけは、それまでは俺、静江さんと一緒に寝ていたんですけども、

ある日、「一緒に寝ようぜ」と健さんに誘われて、健さんと一緒に寝るようになったんですよ。



でもそれだけだったけども、なんかすごく不思議な感じがして…。

何故かと言うとそのー、俺の家6畳2間なんだけど、

今までは静江さんと瞳さんと勇さんと俺が一緒の部屋で寝て、元さんと健さんが一緒の部屋に寝てたんだけど、

それが変わって、なんか世界が変わる感覚だったです。



それでなんか健さんは俺に、「勇のアザの大冒険」という、

勇さんの尻にあった蒙古斑を主人公にした話をしてくれたりして、

そういうのが楽しかったんです。



ただ、この頃からもう健さんは中学校を不登校気味だったし、

そういう意味においては、俺が家族の中で健さんと仲良くなったことは、

悪影響だったかも知れないです。





それで、俺が小5だった時の1999年5月に健さんは自殺したんですけども、

なんだかんだ言って、俺が小学校3、4年生くらいまで仲よかったですね。



俺が小学校1,2年の頃は、夏休みの時に早朝に出掛けて、

健さんとクワガタを取りに行ったこともあったし。

それでその時は確か、3匹くらいは採れた気がします。うん。

それでクワガタ採りをした数日後くらいに健さんが、「図書館で昆虫図鑑を借りてこい」と言ったんですよ。

でも俺、図書カードを持っていなくて、だから図書カードを作らなければいけないんだけども、

図書カードを作るためには身分証が必要になるんですね。


それで一応健さんは俺に身分証を持たせてくれたんだけども、

その身分証が俺の学校の連絡網だったから、

受付のおねーさんが凄く困っていたのを覚えてます。


でもその時は、恐らく特別に図書カードを作ってもらえて、

だから昆虫図鑑を借りることが出来ました。はい

(中略)

★健さんが中学校に行かなくなる。

健さんは1980年生まれだから、93年94年95年が健さんにとっての中学生時代なんだけども、

…だからまあ要するに、健さんは、俺が年中組年長組小1の時に中学生時代だったわけです。

それで健さんは別に、普通に中学校に通っていた時期もあるんですね。

だって健さんは剣道部で、家に竹刀があったし。

だからいつ健さんが中学校を不登校になったのかは、俺にはわからないです。



…それでまあ、ある日の朝、元さんと静江さんの言い争う声で目が覚めたんですよ。

俺はその言い争う声が怖くて布団の中で固まっていたんだけど、

嫌でも言い争う声は聞こえてくるから、

言い争いの原因が、健さんの不登校のことだということはわかったんです。


俺は健さんと一緒に寝ていたんだけど、

静江さんが元さんに「元からもなにか言ってよ!」的なことを言ったから、

俺が寝たふりをしている布団の上に元さんが座って、健さんに説教し始めたんですね。



俺は、ちょっとでも動いたら自分も説教されるんじゃないかと怖くなり、

だからずっと固まっていたんです。

最終的に元さんは健さんにビンタをして、健さんは家を飛び出して行ったんだけども、

俺は、静江さんが「もう大丈夫だよ」と俺に声をかけてくれるまでずっと固まっていたんです。

…で、元さんにビンタされたことがきっかけになったかどうかはわからないけども、

健さんがね、家で暴れ始めたんですよ。

健さんは奇声を発しながら、隣の家の塀に食器を投げて割ったり、ドアのガラスを割ったり、

箪笥を倒したり、俺のランドセルにボールペンで傷を付けたりしたんです。

俺が家に居る時にも普通に健さんは家を荒らしていたんだけども、

その時にたまに健さんが、「危ないから外に出てて」と俺に言って、俺を外に出したこともあったんです。

その度に俺は、暗くなるまで自転車で近所を走っていました。


健さんが酷く家を荒らした時は、元さんが警察を呼べと言っていました。

確か、食器棚のガラスを割った時だと思うけども。

あとなんか、健さんが家を荒らしてる時に、

静江さんが「大丈夫だから。大丈夫だから。」と呟いていたことが、印象に残っています。

健さんはいつごろ暴れるのをやめたのかな?

あんまり良く覚えていないけど、気がついたらやめていました。

俺の人生

健さんの人柄について、文章中では愉快そうな少年像として描かれているような気がして、ここから自殺するような人物とは思えないんですよね。不登校になるきっかけが何かあったんだと思いますがそれが何かはもうわからないかもしれない。

健さんの自殺

999年5月には健さんが自殺しました。

でも俺は健さんとは仲良かったけども、あんまり悲しくはなかったです。

なぜなら、俺が健さんと仲よかったのは1998年くらいまでだからです。



…うん。



なんか、健さんは1993年に中学校に入学したんだけども、

入学してすぐ不登校になって、そのまま高校にも進学せずに、まあちょこちょこバイトをしてた時もあるんだけども、

だって一緒に職業安定所とかも行ったことあるしね。

でも基本的にはずっとニート状態だったんですよ。



それでまあでも、健さんはよく俺と遊んでくれたので俺は健さんのことが好きだったんだけども、

1998年くらいに健さんが精神科に通い始めて、なんか薬を服用し始めたんですよ。

そのせいでなんか健さんの雰囲気が変わって、

それから徐々に健さんのことが嫌いになっていったんですね。



なんか、被害妄想っぽくなっていったというか、

その、俺の学校のプリントに「死ね」と落書きしたものがあって、

それを健さんが見つけて「これ俺のことだろ」と因縁をつけてきたり。



その時は俺は、何度も「違うよ」と言ったのに、健さんは「じゃあ誰だよ」と食い下がってきて、

でも俺がプリントに死ねと落書きした理由は、

ただ単に「死」という文字がなんかかっこよく感じていて、だからなんとなく「死ね」と落書きしただけなんだけども、

なんか余りにも健さんがしつこく食い下がってくるから、面倒くさくなって「じゃあ健でいいよ」と言ったんですよ。



…まあ、そういうこともあって、

だから俺が健さんが自殺したと初めて知った時も、「…あっそうー」みたいな反応でした。



…えっとその時は、その…、俺は小5だったけども、

学校が終わって家に帰って、それでいつもの様に一人でテレビを見ていたら、

玄関の引き戸をガラガラと開ける音がしたんです。



俺は、「勇さんかな?」と思って気にも留めなかったんだけども、

俺の部屋の扉がガチャっと開いたもんだから、俺はその音にビクッっとなって扉の方を見たんです。

そしたらいつもは深夜に帰ってくるはずの静江さんと元さんが居て、

俺は、こんな時間に帰ってきた静江さんと、普段見ることのない静江さんと元さんの2ショットに頭が混乱して、

しかも静江さんは「ごめんねごめんね」と泣いてるから、ホント意味が分からなくて、

でもなんとか今の状況を把握しないとと思い頭をフル回転させて、

「お母さん仕事でも首になったのかな?」と俺が思った瞬間、「健が死んだ」と静江さんが言ったんです。

それでその時の俺の反応が、「…あっそうー」だったんですよ。はい。



ぶっちゃけ、ほんとどうでも良かったし。

むしろ、健さんが死んだ分、家が広くなるので嬉しかったです。





葬式の時は、とにかく俺、親戚と合うのが嫌で嫌で仕方なくて、

特に、狭い俺の家に親戚一同が集まったりしてたのが死ぬほどイヤで、思い出したくも無いです。



…で、まあ、基本的には葬式会場で葬式をするんだけども、

その葬式会場はそこそこ広い畳の部屋で、奥には5段くらいの雛壇があって、

その雛壇の上段には健さんの中学校の卒業アルバムを引き伸ばした遺影があって、





雛壇の両端には花があって、雛壇のすぐ前には木の箱に入った健さんの遺体がありました。



それで俺は、見よう見まねで線香とお焼香をあげて、

その後になんか、葬式会社の男の職員に促されて、箱に入った健さんの遺体を観た気がします。

その時に俺、その男の顔を見上げたけど、うそ臭い悲しい顔をしていました。

それで線香やお焼香をみんながやり終わったあと、お坊さんがお経をあげていたと思います。



大体30分位お経をあげていたのかな?



次に、健さんの遺体を火葬場で焼くために、健さんの遺体を火葬場に持っていく時が来ました。

その時に、健さんとの最後の別れになるからなのか、静江さんは箱に入った健さんの遺体を軽く持ち上げ抱きしめて、

「だげじーだげじー」と声を上げて泣いていました。



それで、確か20分位葬式会場で待たされたあと、みんなで火葬場に向かいました。



火葬場に着いて待っていると、健さんの遺体の火葬が終わったようで、

火葬場の焼却炉?から骨になって健さんが帰ってきました。

静江さんはその骨を見てまた、「だげじーだげじー」と声を上げて泣いていました。

俺はその様子をぼーっとしながら眺めていました。



火葬場から葬式会場に帰ってくると長テーブルが3つくらい用意してあって、

その上に出前のお寿司がテーブルごとに3つくらい置かれていました。

それを親戚のみんなで食べたと思います。



その時に静江さんが「思ったより人が来てよかった。」と、親戚の人と話していた記憶があります。

何故か印象に残った記憶です。



今考えると、静江さんはこんな時でも世間体を考えているんだなという違和感から、

なんとなく記憶に残ったんだと思います。

でも確かに、葬式には俺の知らない女の人がハンカチで目を拭っていたり、

明らかに親戚ではない人もいて、思ったより人がいました。

多分、健さんの同級生や先生だったのだと思います。



葬式が終わったあと、葬式会場に静江さん(43)と元さん(44)と瞳さん(23)と勇さん(16)と俺(小5)の5人で1泊しました。

でももしかしたら、勇さん(16)は泊まっていなかったかもしれないけども。

…で、俺は、普段と違う場所で寝る事に多少の楽しさを感じていました。



…あとなんというか、

健さんの葬式の時が、俺が家族を感じた最後な気がします。

ちなみに瞳さんとは、健さんの葬式以降あってません。



それで葬式が終わって暫くしたあと、お坊さんが家に来てお経を上げました。

お坊さんはとても大きな声でお経を挙げていたから、

俺は、近所に住んでいる板倉さん(小5)に聞こえたらどうしようとずっと思っていました。





健さんの葬式のゴタゴタが一通り終わったあとに、

元さんと静江さんと俺とで、健さんが首を吊った場所に行った覚えがあります。



場所は覚えてないけど、

確か、大きい道路の横にある街路樹がたくさん植えてあるところでした。



その場所までは元さんの車で30分くらいの距離でした。

俺は車に乗っている間、ずっとぼんやりと窓の外を眺めていました。

するとなんか、車が止まってエンジンも止まったから、

健さんが自殺した場所に着いたんだなと俺は悟って、外へ出ました。



俺が、ここはどこなんだろうと景色を眺めていると、

バタンバタンと音が聞こえたのでその音の方向を振り返ると元さんと静江さんが居て、

それで元さんと静江さんは、何となく俺を気にしながら道路横に植えてある街路樹の中に入って行きました。

俺は、元さんと静江さんの少し後ろを、恥ずかしさを堪えながら、つかず離れず着いて行きました。



元さんと静江さんがある一本の木の前で立ち止まったので、

「…ああ、健さんはこの木にロープを引っ掛けて首を吊ったんだな」と不思議な気分になり、

そしてその木に俺は線香を上げて、あと静江さんはお花も添えて、家に帰りました。



…あとなんかその日は、小雨が降っていた気がするな。はい。





あとなんか一度だけ、健さんの気配を感じたことがありました。

まあ大したエピソードじゃないけども、

俺が自分の部屋にいる時に、なんか玄関から誰かが入って来た気配を感じて、

それで部屋の扉を開けて見てみると、誰もいなかったっていう話なだけですけども。はい。




俺の人生

健さんの自殺はだるまさんにとって衝撃的なことではなかったのだと書かれています。健さんが自殺した場所に向かう際も、「恥ずかしさ」が勝っていたと書かれています。

どうしようもない貧しさと家の狭さ

だるまさんは小学2年生のころに万引きをするようになりました。

なんか当時の俺は、お金を払わないと商品を外に持ち出せないと思っていて、

だから、お金を払わなくても商品を外に持ち出せることが、大発見のように感じたんですね。

俺は色んなものを万引きしました。

コンビニでジュースとかお菓子とかを日常的に。

俺の人生

もう書き置きしても無駄たと学習した俺は、直接手紙を静江さんに手渡そうと覚悟しました。

それで、静江さんは駅の清掃員のパートを俺が小1の時から始めていて、

そのパートの仕事は夜型の仕事だから、静江さんはいつも朝の10時くらいまで寝ていたんだけども、

だから俺は、寝ている静江さんを起こして手紙を渡したんです。



俺はその間、静江さんなら怒らないかも知れないという淡い期待と、

怒られたらどうしようという不安が入り混じった感情が溢れだして、ニヤニヤしていました。



俺の期待とは裏腹に、手紙を読み終えた静江さんはみるみる不機嫌になって、

俺は、静江さんの怒りが収まるまで、ずっと泣きながらごめんなさいと謝り続けたんですね。

そして色々一段落が付いたあと、静江さんと一緒にオリンピックに謝りに行ったんです。



オリンピックに着き、静江さんはまず店員に話しかけていました。

そして俺と静江さんは、その店員に案内される形で事務所へ向かいました。

事務所に着くと店長がいて、

静江さんは店長に、「こういう書き置きをしてたんです。」みたいなことを言って頭を下げていました。



それでなんか店長も、「まあまあ子供がやったことですから…」みたいな対応をしながら、

ナップザックを静江さんに返してました。



俺はその様子をずっと見ていました。


その帰り、俺と静江さんはスーパーのマルエツに寄りました。

その時になんか、商品を袋に詰める時に静江さんが、俺に1000円をくれたんです。

当時の俺は「とても悪い事した俺に1000円くれるなんて、静江さんはとても優しい」と思ったんだけども、

今冷静になって考えてみると、俺は毎月のお小遣いを貰ったことが無かったので、

俺が万引きをしても仕方なかった状況だと思います。

あと、俺が万引きをして捕まって静江さんと一緒に謝りに行くまでに1週間くらいの間があったんだけど、

その間に瞳さんが、

「万引きがどうのこうのって電話が掛かってきたけどはぐらかしたw」と俺に言っていたような記憶があるので、

オリンピック側は、俺に逃げられたと思っていたと思います。

俺の人生

だるまさんは万引きが発覚した後、罪悪感に苛まれたことが書かれています。本文中にもだるまさん自身小学3年までは元気な少年だったと書かれています。逆にいうとそれだけ健康な少年が万引きしてしまうというのは、それだけ貧しい環境にあったということだと思います。静江さんもそのことを申し訳なく思ったのか、情けなく思ったのか、万引きしただるまさんに1000円札を渡しています。

恥ずかしさ、孤独、惨めさ

いつの間にか、俺が平屋の汚い家に住んでいる事を知られていて、

その時に、あまり裕福ではない渡辺くんが目を輝かせていた事も嫌で嫌で仕方がありませんでした。



ある時千脇くんが、俺の住んでいる家を本気で知りたかったらしく、

下校の時に俺に付いて来ました。俺は憂鬱な気分で下校しました。

俺の住んでいる家を知った千脇くは、愛想笑いを浮かべていました。

俺は惨めな気持ちになりました。

俺の人生

だるまさんの中学校のエピソードのほとんどで恥ずかしさ、孤独感、惨めさを感じています。その積み重なりで学校に行かなくなった。

中学校をサボる

最初にお墓で時間を潰した時は凄い緊張しました。

でも、2回3回と回数を重ねる内に慣れてきて、家から持ってきた携帯ラジオでラジオを聞いたり、

CDプレイヤーとゲームボーイアドバンスで時間を潰していました。

でも大抵ラジオを聞いて時間を潰していました。



お墓でサボっている時は、

俺は確かにこの世界に存在してるけど、本当にこの世界に存在しているのか実感が持てない、

不思議な感覚に包まれていました。



あと、幼稚園に通っていた1992年~1994年位の頃を思い出していました。

多分その時代が、俺が人生を楽しめていた唯一の時代なんでしょうね。

それと、小1くらいの時に健さんと夜に公園とかで遊んだ楽しい記憶も、思い出していました。



俺は学校をサボるためにお墓にずっと居たけども、

数回くらい、若いサラリーマン?に見つかったこともありました。



なんか、俺がお墓の階段に座って時間を潰していると、

階段を登る足音が聞こえてきたんです。

俺は「やばい!」と思いながらも恐怖で身動きが取れなかったので、

咄嗟に寝たふりをしたんです。



その時その若いサラリーマン?は、「サボりか・・・」と呟いていました。

二回目以降は無言でした。

俺の人生

自分も高校をサボっていたので凄く共感しました。

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