[令和6年能登半島地震]七尾市テントボランティアに参加した感想[ボランティア初心者]
Introduction
どうも、麒麟竭です。今回は、4/2に七尾市テントボランティアに参加した時の出来事や感想をボランティアに参加する者としての視点としてブログに残したいと思い、綴っています。
まず、知って欲しいのが、どこが被害が大きいのか、という地理の話です。以下の画像が参考になります。
これを見ると、金沢や富山に比べて、能登での被害が際立っているのがわかります。石川県の地理事情に詳しくないと、「北陸全体がピンチなのでは?」と思うところ、被害が甚大なのは能登というのがキーワードになります。さらに、その奥の奥能登が最も被害が甚大で、復旧が遅れているところになります。珠洲(すず)や輪島、穴水といったところが奥能登になります。
参考:
なぜ参加したのか
中学校の知り合いが、東日本大震災のボランティアに参加していたのに影響を受けたから。
参加決定•準備編
能登のボランティアに参加するには、原則、特設サイトから事前登録を行い、メールを受信し、そこから参加するというのがおそらく主流です。私も事前登録を2月から行い、時折メールをチェックしていました。大抵は数名の募集で、免許がいるものなどがありました。
3月中旬あたりに、七尾市テント村プロジェクトのボランティア募集のメールが届きました。募集人数が多いのもあって即申し込みをし、すぐに参加決定通知が届きました。3/23の話です。
初めてのボランティアだったので、Amazonで多くのものを購入しましたが、実際現地で使わなかったものもありました。以下そのあたりを解説します。
ボランティア+テント村宿泊で必要なもの
ボランティア
ヘルメット -> 現地でも準備がありますが、持っていくのがエチケットだと思います。無いと非常に危険な場合があります。
防刃ゴム手袋 -> 木材家具の解体作業などを行うのに必ず使います。
防塵マスク -> これも現地に準備がありますが、持っていくのがよいかと。解体作業中に塵が結構でるのでいるのかなと思います。
丈夫な靴 -> これは特別必要ではないかもしれません。周りのボランティアさんたちは普通のスニーカーを使っていました。
踏み抜き防止ソール -> これも現地に準備がありますが、サイズが一番小さいので26,5cmなので、女性の方など足が小さい方は事前に買う必要があります。
ショルダーバッグ -> マイクロバスに荷物を置いて行けたので、特別必要ではありませんでした。
レインウェア -> 外で雨の中作業することもあるので、準備が必須だと思います。周りは体感8割ほど全身装備してました。以下のリンクのものはフードがなかったので、フードの有無気を付けたほうがいいかもしれません。
ゴーグル -> 私は使いませんでしたが、一応準備しておくと良いと思います。現地にもあります。
テント村宿泊関係
寝袋 -> 父のものを借りました。夏用のものだったようで、めちゃくちゃ寒かったです。天気予報などを見て、十分な温度調節を行ってください。
マット -> テント村に既にあり、必要ありませんでした。
ランタン -> テント村から借りることができました。
その他
食料 -> カロリーメイトなど持ち運びやすいもの
常備薬
1日目
移動
4/1に新宿から夜行バスで、富山まで行きました。ここで一つミスをして、氷見までの予約をしてしまってました。富山駅前で途中下車しました。そんなに金額差が無かったので良かったですが、以後気をつけたい。
ここでちょっと地理の話。氷見から七尾は地図上では近いですが、間に大きな山々がそびえているので、直接いくのは車ぐらいしか手段がありません。電車で七尾にいくには金沢から行くしかありません。一方、金沢から七尾の間は土地が平です。なので、ここを電車が通るわけです。
金沢-七尾間は電車でおよそ1時間半で、車窓からの様子は普通の田舎で、奈良県を通る大和路快速を彷彿とさせました。七尾に近づくにつれ、崩れている民家がちらほら。電車に乗っている方々は意外に多く、若い学生の方々が七尾駅で降りていました。4/2時点では、七尾駅のプラットフォームの一部が未だにボロボロで衝撃を覚えました。
七尾駅から、徒歩で約20分、9:00までに七尾市文化ホールにてボランティアの受付をQRコードを使って完了させました。
作業開始
学校のクラス2つ分くらいの人がいて、二階でオリエンテーションを受けました。ボランティアに来ていた人の7割程度は、40代以上の方だと思われました(20代くらいの若い人もいたし、80代の方もいたので結構バラバラ)。女性の方は2-3割ほどいました。
被災にあった家に行くなど解体作業などをするグループと2tトラックなどを運転するグループに分けられ、班分けもされ、活動は大体10:00くらいに開始されました。
私はこのとき、巨大なボストンバッグできたことを反省しました。荷物を預けるところも特にないので、終始バカデカ荷物を持ち歩いていました(周りはナップサックのようなものを使っている方が多かった)。
私たちの班は、仮仕分け場の仮仕分け場というところで作業をしました。午前中はあまりトラックが来ず、人手が余っている状況でしたが、午後からは非常に多くの産業廃棄物で全員作業してました。特に木材が多く、ちゃんと廃棄物を処理しなければならないので、釘を抜いたり、大きな家具をハンマーで破壊したりと、体力のいる作業でした。午後3時だったか4時だったかに終わりました。(DIYとかしている人だと向いているかも)
作業終了後、マイクロバスで文化ホールに戻りました。ボランティアの方々の凄いなあと思ったのが、コミュニケーション能力がめちゃくちゃ高いということです。作業中は声張るし、バスの中では、帰りも行きもみんな打ち解けて会話していて、様々なお話を聞くことができました。
テント村
文化ホールから、城山野球場まではバスで移動しました。徒歩では20分くらいです。受付でランタンと、入村表を貸してもらいました。
テント村に入ると、「新入りがきたぞ!」って感じで話かけてもらってテント村中央の白テントに是非来てねって言われましたが(別の人にも言われた)、疲れでクタクタで行く気になれませんでした。また、テント番号をうっかり教えましたが(悪い人には見えなかったけど)、テントには家のように鍵など無いので、くれぐれも貴重品の取り扱いには気を付けてください。
七尾駅の付近に温泉があるらしく、行きたかったのですが、城山野球場から市街地まで結構遠いんです。しかも、営業しているかもちょっとよくわからない。というわけで結局行けず、テントでゆっくりニコニコ動画を見て、休んでました。
21:00くらいになるとそこそこ暗く、寝ようと思ったのですが、横たわるとすごくお腹が痛くなり、また、寝袋に入ってもめちゃくちゃ寒く、朝の4:00 まで寝れませんでした。
2日目
本来は4/3もボランティア参加予定でしたが、非常に申し訳ないことですが、睡眠不足で参加をキャンセルしました。その後、金沢まで戻り、金沢で温泉に入って、北陸新幹線で帰りました。
最後に
地震が起きてから、もう3か月以上経過していますが、まだまだ復興には時間がかかるようです。今のペースでは何十年もかかるとも言われています。奥能登では未だ地震当時から変わらない光景の場所もあります。奥能登まで行く道路も、凸凹だったりで、行くだけでも大変だったりで、ボランティアの受け入れも一枚岩ではいかないようです。
心身が健康で、体力があり、免許がある方は是非とも能登のボランティアに協力して頂けたらと思います。ボランティア休暇でお金が出される企業もあるそうです。
何か間違い、指摘などがありましたら、コメントお願いします。
最後まで読んで頂きありがとうございます。