勉強できない人VS勉強本

 世の中には、勉強本とカテゴライズされる本がある。多くは大学教科書の3分の2くらいのサイズ感、ページ数で、内容をまとめると大学教科書の15分の1くらいになる。勉強本を読んでいる奴=理解力希薄な奴、という認識をしているのか分からないが、往々にして繰り返しが多い。勉強本以外にも、思考プロセスというジャンルの技術本もそういった感じである。一応分けてはみたけれど、勉強本とその手の本は全く同じなのかもしれない。
 とにもかくにも、今回の文章の目的は、実際に勉強ができないし、しない人間の正直な気持ちを出し、勉強本がいかに的はずれか伝えていく。まず、ここで言いたいのは、的はずれというのは内容に関することではない。そういった勉強本で実際に成功した人もいると思うし、方法論など人それぞれなので、内容如何に関して誤りを指摘するのは困難であるためだ。困難でなくても、そんなことをするつもりはないけれど。
 では、どこが的はずれかというと、「本当に勉強できない人間は勉強本など読めない」ということだ。すなわち、勉強本を読むような人たちは、ある程度勉強した経験があり、それなりの勉強に対する方法論があると、私は考えている。
 僕を例に述べていくと、まず、そもそも本を読むことが難しいのだ。読むことが難しい理由は以下の通りだ。
1.興味がないから読み進められない
2.文章を読んでいくということそれ自体がストレス
3.勉強本を読む時間があれば勉強する!と意気込んでしまう(勉強をするわけではない)
4.勉強本を読んだところで勉強しないだろうなあと想像がついてしまう。
 以上の四つの点から、私は勉強本を読むことができない。ただ、ここで反論が生まれてしまう。「読んですらないのになにをいっているんだ」ということだ。勉強本さえ読めば、そこからまるで魔法が始まる如く一気に勉強が効率的かつ抵抗感なく始まる可能性があるじゃないか、ということだ。これを否定することはできない。ただ、私は別に読んだことがないわけではない。正確にいえば、本屋で購入し、15ページ読み進めたのだ。15ページより先は私には困難だった。もしかしたら250ページくらいきちんと読めば上記の効能を得られたかもしれない。
 とにかく、本当に勉強できない人間からすれば、勉強を効率的に進めるための本を読むリソースなどないということだ。長いスパンで考えられる人間は、その時点で勉強ができる人なのだ。以上から、こと勉強本を勉強ができない人に薦めるのは誤っていると考えている。
 ちなみに、僕は今までの人生でまともに勉強したことは一度もない。高校受験は塾に行かせてもらっていて、もらったにも関わらず、いわゆる底辺校というものに入学した。大学受験は高い予備校代(100万)出させておいて地元の大学(私の地元は田舎である)に進学した。不努力の才を持って生まれたと断言できる。努力してそうなったわけではないというのは一つの理由がある。それは、私自身国語の点数がずっと高かったという点だ。センターの全国模試で満点を取ったこともある。つまり、ある程度の知性はあるのだ。ただ、それを上回って圧倒的に努力をしないのだ。
 とにもかくにもまとめると、努力が出来ない人間に本は無効である。できることなら、錠剤か、貼り薬にして欲しいと願うばかりだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?