江ノ島道と杉山和一
清浄光寺門前の遊行寺橋 (旧 大鋸橋)は、旧東海道が境川を渡る橋です。
明治初期頃までは、橋を渡り左手(南側)に江島神社一の鳥居・脇には道標が立っており、江ノ島道入口でした。
江ノ島道を進むと蔵前があり、江戸時代に年貢を納めた蔵があったそうです。
遊行ロータリー交差点から藤沢駅北口に向かう道です。
新宿湘南ライン等の下をくぐる地下通路が便利です。
石上公園の脇を通過します。
もう少しで境川です。
上山本橋を渡ります。
源頼朝が、片瀬川に馬の鞍を架けて橋の替わりにしたようです。
片瀬小学校の前を通過します。
左手に向かいます。
右手に向かいます。
踏切を渡ります。
目的地の江ノ島に到着です。
…江ノ島道の終点に着いたので、道の途中にあった道標を寄進した人物について紹介します。
杉山 和一(1610-94)は、津藩家臣・杉山重政の長男として生まれます。幼い頃に伝染病で失明したため家督を義弟に譲り、江戸で検校・山瀬琢一に弟子入りするも、物忘れ・不器用さが酷く破門されます。
和一は、芸能の神である江の島弁財天に詣で、岩屋に篭もり21日間の断食修行を行います。
しかし、何の御利益も無く、諦め、実家へ帰ろうと道を歩いていると、石に躓き倒れてしまいます。
その時、身体に刺さるものがありました。手にすると木の葉が丸まって、その中に松葉が1本入っており、和一は新しい鍼療治の方法を思いつきました。
山瀬琢一の師でもある京都の入江良明の息子・入江豊明に弟子入りすることとなります。入江流を極めた和一は江戸で開業し、大盛況となります。
1685年名声を聞いた第5代将軍・徳川綱吉により、20人扶持の扶持検校として召し抱えられ、道三河岸に屋敷を賜ります。
1693年徳川綱吉から治療の功績により、本所一ツ目に2700坪を下賜され、参拝を続けた江ノ島弁財天より分霊が許可されます。
社内には、杉山流鍼治導引稽古所が開設され、鍼・按摩技術の取得教育を主眼とした世界初の視覚障害者教育施設が誕生します。
…盲人の方に、鍼・按摩を教育し、職業として定着させた功労者です。
今回の記事は以上です。最後まで読んで頂いてありがとうございました😊