見出し画像

マニ教 エルカサイ派

エルカサイという人


エルカサイ (Έλκασΐ) またはエルケサイ (Έλκεσαΐ) またはエルカサイ (Ήλξασΐ) は預言者であり、ユダヤ・キリスト教エルカサイ派の創始者である、 ヨルダン川の東側で生まれ、グノーシス主義の流れやシンクレティズムと結びついていた。

西暦100年頃、エルカサイは『エルカサイの書』という本を書き、その中でセラエの町で見た幻について語った。
その幻の中で彼は、背が高く体格の良い天使が他の女性の天人と一緒にいるのを見た。
彼は、イエス・キリストが聖母マリアから生まれる前の時代に地上で生きていたという事実や、人々が救われたければどのように生きなければならないかなど、イエス・キリストについて多くの興味深いことを説明した。

トラヤヌス帝の時代に生きたユダヤ人。

トラヤヌス帝

彼は自らを神の霊感によるものと考え、旧約聖書と新約聖書の一部のみを信奉した。
彼は信者に結婚を強要した。
彼は、迫害されても信仰を隠し、心からそうしなければ罪を犯すことなく偶像を拝むことができると言った。
キリストは偉大な王であると語ったが、それがイエス・キリストなのか、別の人物なのかはわかっていない。
犠牲、聖なる火、祭壇、犠牲者の肉を食べる習慣を非難した。
彼は、このようなことはどれも律法では義務づけられておらず、家長たちもそうしていなかったと言った。
エルカサイは、神の子に代表される男性原理と並んで、聖霊に代表される女性原理があると言っていた。
彼の信奉者たちは、割礼の必要性とユダヤの律法が課す儀式を擁護するエビオン派の一派に加わっていたようだ。

一世紀後の222年頃、エルカサイの書はアラム語からギリシア語に翻訳され、パルティア共同体の宣教師、アパメアのアルキビアデスによってローマにもたらされた。

この著作は、当時すでにローマ司教を志していたカリクストとヒッポリュトスの論争によって二派に分かれていたローマのキリスト教共同体に大きな影響を与えた。
ヒッポリュトスはエルカサイの著作の断片をいくつか伝え、反論している。
時には、基本的な考え方はすでにギリシア哲学やエジプトの書物にあったと主張することもあった。
これらの断片は、今日の批評家たちがエルカサイ派の創始者と宗派を理解するのに役立っている。

エルカサイ派

マニ教のマーニーが父親と一緒に入信してたエルカサイ派は洗礼儀礼を持ちつつも、ユダヤ的要素の強いキリスト教系のグノーシス主義教団であって正統的とは言えない異端的な宗派。

エルカサイ派またはエルカサイ派は、エルカサイの名でペルシャ地方に現れたグノーシス主義的傾向を持つユダヤ・キリスト教宗派で、イエスの神性を否定し、彼のメシアニズムのみを認めた。

ドクトリン

エルカサイ派によると、キリストはアダムから肉体へと移り変わり、最終的にイエスの肉体を統合した。
同時に、エルカサイ派は福音書と同様に旧約聖書の特定の箇所を否定し、使徒ヨハネの黙示録の言葉を支持しない。

エルカサイ教

エルカサイ主義はマニ教を生み出したが、その創始者マニはメソポタミアのクテシフォン近郊で、おそらくエルカサイであったと思われるバプテスマの共同体で教育を受けた。
エルカサイの黙示録からの抜粋が『ヴィータ・マニ』として知られるマニの写本に見られることからも明らかである。

東のグノーシス主義の代表はマニ教

・両者を較べると、どちらも太陽と月が悪魔によって穢された宇宙を浄化、修復する役割である点は共通している。しかしその宇宙観の違いは明らかだ。ゾロアスター教では性的なものを神聖な再生の儀式として描いているのに対し、マニ教では性を徹底して悪魔的な、醜悪なものとして描く。

・ゾロアスター教の人間は太陽によって浄化された種子から神によって作られ後に悪魔的な観念が忍び込む。
これに対しマニ教では人間はミトラや第3の使者の攻勢に対抗し悪魔が反撃する作戦として作られる。

・マニ教の人間誕生神話は再び山本由美子氏の書から引用しよう。

闇の側では、せっかく虜にした光の元素を取り戻されないように「物質」が「肉欲」の姿をとって、全ての男の悪魔を呑み込んで一つの大悪魔を作り、同様に女の悪魔たちも一つの大女魔となった。

その両者によって、あこがれの的である「第三の使者」に似せてアダムとイヴが作られた。
その形を作った物質には光の元素が呑み込まれている。
したがってアダムは闇の創造物でありながら、大量の光の要素を持っていることになる。

悪魔たちに守られて眠っているアダムは自分が光の要素を持っていることを知らない。
このアダムに自らの光の本質の存在を知らせるために、「第三の使者」の化身である「イエス」が送られ、アダムにグノーシスを与えて覚醒させる。


いいなと思ったら応援しよう!