ジャニオタ、他人の話題に水を差すのが得意だと思った件

主語を大きく取ってしまったがおそらくこれはジャニオタ以外にもあることだと推測するが、今回はジャニオタを例に書かせてもらう。


私がジャニオタになってはや三年が経とうとしている。
ツイッターには色んなひとがいて、たとえば動画を違法にアップする動画アカ、情報アカ、言葉巧みなアカ、ちょっと腐要素を感るアカ、とまあ本当にいわゆる大手アカでもいろいろあって、ジャニオタ一年生だったころの私は有益そう!と思ったアカウントをサクサクフォローしていった。
中でも好きなのは言葉が上手な愛にあふれたツイートをするアカウント。やはり他人の好きを語っている姿(目では見えないが)はこちらとしても気分が良くなるし、いい人なんだろうな~って自然と思わされる。またそのフォロワーとかもいいひとっぽいのがたくさんいて、いいな~って思ってた。

こういったひとばかりならいいのだけど、残念ながら攻撃的な人間が一定数いる。しかも考えなしの発言ではなく、多少考えての発言をする人間である。その多少考える行為自体悪くは無いのだが、見ていて不快感を覚える。正論をかざして、我を通したい欲が丸見えだからだ。
私はその《正論をぶつけるアカ》がとても怖い。怖いというより目障りというか鼻につく、が正しいかもしれない。

たとえばひとつの話題で界隈が楽しく賑わっているときにマジレスをかましなんとなく場の空気を悪くする。たとえば色々な意見があっていい話題に対し何度もしつこく自分の意見をつぶやき自分の意見こそが正しいとアピる。たとえば或る話題に対し若い子が不安から来る怒りに苛まれている場合において一歩引いた目線で正論をかまし他者の意見や感情を否定する。それなのにこの社会はダイバーシティが認められるべき社会だとか差別はだめだとか色んな意見があっていいけどなどうんたらかんたら申し立てておりいよいよよくわからない。
つまりは自分の意見・考えこそが正しいと疑うことすらしないのだなと感じてしまい、どことなくその人が苦手になる。何を言ってもこちらの意見を根っこから簡単に折ろうとしてくるので発言すらもしたくなくなる。こういったものは一種の言論統制に近いかもしれない。

それに対し、自分の意見がその他大勢にそぐわないと気づいた時にはすぐに他者や大きく強い者の意見に擦り寄る。自分というものが無いのか?と思う。結局強い思想に膝を折るのだ。求めているのは強さなのだろうか。不可解きわまりない。

自分が被害者であり自分の意見が正論であることを疑わない人間。被害者だから何を言っても許されると思っている人間も上記のようなPターンが多いように思う。
私は悪くないんです、そういった考えが悪いんです。
別に誰もあなたのことを否定していないのに見えない敵に否定された気分になって勝手に当り散らしているように思う。いよいよ被害妄想である。本当に目に余るのだけど自分自身は本当に自分が間違っていないと思っていそうなところが手におえない。しんどい。

まあ私がフォローはずしたりブロックすればいいだけなんですけど。
でもなんとな~くやりづらいことってあるやん?日本人なので。

もっとみんな好きとか楽しいをつぶやけばいいのに。

自戒をこめて。

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