岐阜考察6 中濃
一見すると味の濃さのようなこの単語は美濃地方の中部の名称である。
中濃地方は岐阜県のほぼ中央部に位置し、それなりに有名なものだと刃物で有名な関市がある。三島由紀夫が割腹自殺する際に用いた「関の孫六」も名前の通りこの関市ゆかりの品だ。
中濃に岐阜市周辺を含めるか含めないかで議論があるが、私は中濃地方になんら思い入れがないので、この際一緒くたにしてしまう。範囲が広いので1つのことに絞って論じたい。
郡上一揆
郡上(ぐじょう)市という町がある。平成の大合併により生まれた町で、これを構成する中に八幡町というものがある。昔から郡上八幡と呼ばれ、町を流れる清水と昔から続く食品サンプル作りを観光資源とする。
江戸時代にこの地を舞台として、郡上一揆という土一揆があった。そしてその郡上一揆を映画にしたのが、名前もそのまま『郡上一揆』である。商業的成功を収めることを当初から期待していないかのごとき、割り切った題材選定と命名である。監督は神山征二郎監督、主演は緒形直人。緒形直人にとっては、パンツ一丁で怪演した伝説の迷作『北京原人』後、初の主演映画となる。
監督の神山征二郎氏は後年ハリウッドでリメイクされた『ハチ公物語』や五木寛之原作の『大河の一滴』で有名だが、私にとっては小学校の社会の授業で観た『伊勢湾台風物語』の方が印象深い。1959年に中部地方を直撃した伊勢湾台風を題材にしたアニメーション映画で、何気ない日常が描かれる前半と、台風被害を如実に表した硬派な後半の落差がローティーンの私の心に大きなトラウマを残した。ストーリーを一言で説明すれば、「主人公『は』生き残った」である。
アニメーション映画でも子供の心に大きな傷跡を残せる監督なので、実写はさらに上を行く。
『郡上一揆』の大まかな話は次のようなものだ。
郡上藩の徴税法が、獲れ高に関係なく一定量納める定免法から、獲れ高に応じて変動する検見(けみ)法に変わることになった。一見すれば検見法は不作だと税負担が減るので農民にはいい政策に思われたが、恣意的な徴税が行われることを恐れた農民たちは主人公の定さ(「さ」は「さん」のような敬称)を中心に定免法の維持を訴えることにした。しかし、幕府家老の乗る籠に訴える籠訴までしても郡上藩が変わる気配がないため、定さ達はついに将軍へ直接訴える箱訴、つまり目安箱への投書を行う。箱訴によってついに郡上藩の問題は幕府の裁定を受ける段に至るが、一方で訴えた定さ達には、一揆の全貌解明を目的とした厳しい拷問が待ち受けていた。
非常に丁寧に作られた映画で、15年以上前に一度だけしか観ていないにも関わらず、定免法や検見法といった用語や、定さ達が問題を幕府へ訴えていく過程を鮮明に覚えている。しかしそれ以上に、映画の後半以降、ひたすら拷問に耐える農民たちの姿の方が凄惨な映像記憶と共に思い起こされる。映画の後半はずっと農民たちの「だちかん、だちかんで!」という絶叫が響く。「だちかん」というのは岐阜の方言で「やってはいけない」という意味である。全員が連日の拷問で心身ともに消耗しながらも、「拷問に負けて、味方を売ってはいけない」とずっと励まし合っているのである。我々観客はなす術なく、画面越しに行われる拷問とそれに耐える農民たちの苦難を見せつけられる。私はこの映画を高校の体育館で授業の一環として観たが、一部の女の子たちはこの辺になると耳を塞いで下を向いていた。それくらい凄惨だった。
今や岐阜県でも郡上一揆を覚えている人は少ない。映画の存在を知る人はきっとさらに少ない。しかしかつて郡上では江戸幕府を巻き込む一揆があり、そこで戦った農民がいたことは間違いない。