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岐阜考察1 端書

僕が生まれた町は岐阜県の美濃地方というところにある。僕は今まで、岐阜県にも、この町にも郷土愛を抱いたことがない。とはいえ、自分には本当に郷土愛がないのか。故郷は遠くにありて思うものなので、数千キロ離れた今ならばまた昔とは違う思いで故郷を懐かしむことができるのではないか。これから気が済むまで、岐阜というものについて考えていきたい。

1. 岐阜の由来

恐らく多くの人が「岐阜」という字面を眺めた際に、「阜」の特殊性に注目したことだと思う。僕は今まで32年生きてきたが、未だ国内において岐阜という単語以外でこの文字が使われているところに出会ったことがない。さらに言えば、「阜」に隠れて涼しい顔をしているが「岐」も同様に「阜」とのセット以外でお目にかかったことはない。

珍妙な名前だが、由緒は正しい。名付け親は織田信長とされる。信長が今の岐阜市金華山にあった稲葉山城を制し、美濃国を手中に収めた際に、天下統一への足掛かりとして中国の周王朝の始祖、文王が軍を挙げた岐山と、孔子が生まれた曲阜という地名から、「岐山の『岐』、曲阜の『阜』」を取って岐阜と名付けた。めちゃくちゃ天下獲りたい、という今の岐阜県とは全く無縁の野心を込めた命名だった。時に1568年頃のことである。その後信長は岐阜を拠点として破竹の勢いで勢力を伸ばしていく。当時、まぎれもなく岐阜は日本の中心だった。岐阜のハイライト、黄金期の到来である。しかしそれは長く続かなかった。その後10年足らずで、彼は滋賀県に建てた安土城へ移ったのだ。岐阜は足掛かりに過ぎなかった。

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