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酒と文字と信仰と祈りと
先日、夏盛りの8月最初の土曜日に友人の結婚式に出た。40℃近い気温の中でシャツに襟を通してネクタイを締め、上着を羽織ったとき、祝いの場の正装とはいえこれが果たして本当にTime Place Occasionに適した装いなのか、死の谷を渡るのは下手したら今日ではないのかと戸惑いがあった。
昭和のサラリーマンはかつて、この格好で炎天下でも一日を過ごしていたという。当時と今で温暖化が進行していることを差し引いても、尊敬の念は禁じ得ない。
私の友人は書家であり、語学研究者であり、酒を鯨飲して人生をドリフティングする男である。前二つについてはそういうものだという情報だけを知り、最後については一番その姿を見聞きしてきた。最初にこの友人を別の友人から紹介されたとき、現代の李白と教えられた。李白は酔って船に乗り、水面に移った月に触ろうとして溺れ死んだという逸話の残る中国の詩人である。
結婚式のいいところは、大きく二つあると思う。
一つは、その日のイベントは全て、手放しに喜べるということである。式の始まる前、式中、披露宴、全てのイベントに対して拍手をして盛大に喜ぶだけでいいのだ。このような高校の文化祭的イベントは大人になって中々得難い機会である。冠婚葬祭で括られるアクティビティの中でも唯一無二といってもいい。冠に相当するイベントには出たことがないので少し自信はないが。
もう一つは、新郎新婦の知らなかった一面を知ることである。今回の場合は、書家と学者という二面を知ることになった。披露宴会場には彼が揮毫した日本酒の瓶が並び、挨拶では博士課程の指導教官が彼の輝かしい研究足跡を教えてくださった。普段知っているはずの友人からは想像だにしないアーティスティックかつアカデミックな側面を見た。
挨拶の中で、1つ耳に残った言葉がある。それは「信仰と祈り」だった。
文字の形には信仰と祈りが表れている。歴史ある神社や寺に行くと、不思議な形に書かれた古い文字が飾ってあると思うが、それらは昔、特別な教育を受けた学者や貴族、僧侶が信仰と祈りを込めて書いたものである。
私は書家ではないので、文字に信仰と祈りを込める術を持たない。
代わりに二人の息災を祈って、乾杯という言葉を何度となく掛けることでその代用とした。