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Vol.1(1/2)ろう難聴者に「聞こえなかったら、分からなかったら、質問してね…」と声をかけることについて
響け ~La mia voce ~
こんにちは。
本日から、「ろう・難聴」を主題に、ろう者・難聴者を取り巻く社会や状況、さまざまな事柄について、軽度難聴・教員の立場から感じたことを、定期的に配信していきます。
本日は、記念すべき第一回目ということもあり、少々意気込んだせいで、長大になってしまいましたので…(笑)、2回に分けてお届けしたいと思います。
どうぞ、最後までお付き合いください。
(*ここに記載している内容は、あくまでも、わたくし個人の立場から述べた意見であることを、ご了承ください)
「聞こえない時は、言ってね」
「分からなかったら、質問してね」
「私、難聴 で、 "声" や " 音" が 聞き取りにくい です」
…このように伝えると、8割 の確率で返される、”この言葉”。
残りの1割の方は、「どう対応したらよいのか」と戸惑われ、
残りの1割の方はマスクを外したり、話す速度や音量を変えて話してくれたりします。
この言葉が、ましてやこの言葉を使う人たちが、悪いわけでもないのだが…
「ありがとうございます」と笑顔で答えながら、
「いっそのこと、全く音が聞こえない方がいいかもしれない…」と思ってしまうことが、多々あります。
日常で、外部からの音声を聞くことに問題を感じない人でも、
小さな声や、言葉が明瞭でない音声に出会った時に、
「聞こえにくい」と感じることがあるかもしれません。
また、病気でなくとも、気圧の変化や騒がしい場所など、環境によって「聞こえにくさ」を感じた経験があるのではないでしょうか。
そんな時には、声や音が「聞こえにくい・聞こえない」と自分で判断し、聞きづらさを他者に伝えられると思います。
しかし、もともと聞こえにくい・聞こえない人にとって、
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と自分で判断して相手に伝えることや、
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は、とてつもなく難しいことなのです。
中途失聴の方であれば、「問題なく聞こえている時」と「聞こえない時」、両方の経験があるため、両者を比較し、説明することができるでしょう。
けれど、それが先天性の場合 や 幼少期に失聴した場合には、少々勝手が異なります。
なぜなら、補聴器や人工内耳などの機器によって、聞こえる範囲が広がったとしても、、幼い頃から「聞こえにくい・聞こえない」ことが当たり前の中で過ごし、
「すべての音・声が聞こえる」という世界を知らずにいるからです。
ゆえに、すべての音・音声が「聞こえる」という経験のない者が、
「何が聞こえて、何が聞こえていなかった」
か、自分の聞こえ方を、自分で客観的に判断して、説明することは容易でありません。
ましてや、小さい子どもだったら、自分で「聞こえにくい・聞こえなかった」ということに気が付く…というよりも、(フツーに)聞こえる大人や友だちからの指摘によって気づくことが多いように思います。
また、場にそぐわない行動や、失敗経験によって「私は聞こえていなかったのでは?」と判断し、自分の障害を自覚するに至るのではないでしょうか?
だから、聞こえない人、特に“ろう難聴児者”に「聞こえなかったら、教えてね」と伝えることの是非を、少し、考えてほしいなと思います。
とは言っても…
「補聴器をしたら、少しは聞こえるんでしょ」
と思われる方もいらっしゃるでしょう。
たしかに、補聴器や人工内耳によって、音声の聞き取りが良くなる場合もあります。
しかし、これらの機器をつけても、人によって得られる効果はさまざまで、装着しても効果を実感できない方もいます。
ろう難聴者の聞こえ方を、言葉にして説明することは難しいのですが…、
ろう難聴者からの出した発信例として、
「音がゆがんで聞こえる」
というような表現をよく目にします。
これは聞こえる人からしたら、少し意味が分かりにくいので補足すると、
言葉の母音の形跡を残しつつも、音量や文字の輪郭があいまいになり、文字がひび割れたり、にじんで違う形になるイメージに近いです。
ひび割れると、「ザーザー」という音に聞こえたり、耳鳴りが聴き取りを邪魔したりする人もいるかもしれません。
語句で例えるなら、「足」が「あい」に近い音で聞こえ、この場合の「い」も、単独で発音する場合の明瞭な「い」とは違う、あいまいな「い」で、本来の正しい音とは違う気がします。
また、これは発する人によって異なりますが、発した人が「聞こえるように」と配慮してくれ、はっきり話されたところで「あい」の音量自体が大きくなるだけで、こちらの聞こえ方が変わらないこともあります。
つまり、足が「あい」と聞こえている状態が当たり前で、「あい」と聞こえたら「あし」のことだと、脳で変換し、判断しているだけで、「愛」「あい(足)」ふたつのうち、どちらと言ったかは、文脈や配布された資料などで確認し、判断するしかないのです。
そのため、多くの語彙を持ち合わせておらず、学習過程が未熟な子どもであれば、意味の理解・概念が繋がらないために、思い込みによるエラーが生じるなんてことは、当たり前にあるのです。
…というのも、
私が、書いた日記(小学校3年生)には、
「ゆっくり」が「くっくり」と書いてあり、これは単なる漢字や言葉の書き違いというよりも、おそらく、このように「聞こえていた」のだと思います。
さらに、聞き取る側の問題だけでなく、
音声の場合には『「い」ぬき言葉』などが話し言葉として用いられます。
例えば「うまい→うま」「寒い→さむ」「くさい→くさ」「まずい→まず」などがあります。
これらの言葉は、食事中など、話している状況が分かれば何となく推測できますが、言葉が省略され、状況も見えない、その言葉が適切に聞きとれないとなると、もうなんのことか、意味の分からない言葉になります。
だから、聴覚障害者に「分からないことは、質問してね」と声をかけるのは、けして悪いことでないけど、「質問できる状況」に至ら(れ)ない場合もある…そのことを念頭に置いていただきたいなと思います。
Vol.1(2/2)に続きます…
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