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反省文『言葉遣い』

 次男が少し日本語らしいことを言うようになってきた。

 絵本に描いてある「テンテン」もといてんとう虫を母に見せたくて、私の胸をバシバシと叩きながら「ババ、ババ」と繰り返しているが私はママです。「私ママですよ」というと私の口の動きをまね、「マンマ」と言ってニタリと笑うが、3秒するとまた胸を叩いて「ババ」と呼んでいる。わざとやってるんじゃないだろうな。

 魚は「リルリル」、バナナは「バッバッバ」、新幹線は「ドゥドゥ」、車は「ブー」、あかは「アッカ」、あおは「ウォウォ」。動物は恐竜も含め牙のある大きなものは全部「グァー(凄んだ低い声で)」で、ふわふわして撫でられるサイズのものは全部「ワンワン」。アンパンマンもカレーパンマンも食パンマンもバイキンもドキンもみんな「パンマン」なのに名犬チーズだけは「チュジュ」と呼び分ける。パパは上手に「パパ」と呼ぶ。(なんで)。お兄ちゃんは「タッタ」だが、自分のこと(しゅうちゃん)もお兄ちゃんと混同して同じように言ってる気がする。
 お茶が欲しければ「チャッチャ」というし、何か取って欲しければ「テッテ!」と手を叩いてお願いする。ただしご注意いただきたいのが、絵本を読んで欲しいときの場合は「デッデ」となって横に寝転んでくるということ。ご飯と聴こえれば「マンマー!マンマー!」と急かして泣き出すし、好き好きぎゅーと抱きしめると「ジュー」といって体を預けてくるのだ。
「さいしょはぐーじゃんけんぽん!」といえばリズムに合わせてグーを振り回し、ぽんのタイミングで「パ!」と手をあげる。グーチョキパーで何作ろ〜を歌えば左右に揺れながら手をグーパーと握って開いてする。

人が人になっていく過程で、きっと最も尊くエキサイティングで愛らしい時だ。長男の時ももちろんそうだった。私や夫が話す日本語を、世界には数え切れないほど様々な言語があるなんてことを知らぬまま一生懸命にその小さな目に、耳に、吸い込ませている。
私のように知性も品性もないがさつで軽率な言葉調子で育てられることはもしかしたら息子らにとっては大きな不幸であったかも、という思いが頭時々を掠めるが、話し方は私のアイデンティティだった。生き方そのものは変えられない。

祖父母の代から生まれも育ちも福岡の母と、鹿児島生まれの祖母と熊本生まれの祖父の元で福岡に生まれたのち岐阜で育った父。脈々と交ざり合ってきた血縁と同じく、多分それぞれの要素を少しずつ含んで出来上がってきた私のしゃべり口調。福岡生まれ福岡育ちでも、自分の言葉遣いを「博多弁」だと思ったことはない。「私弁」。ダサいがそうとしか言いようがない。同じ親から生まれた妹とすら共有しない、単なる地方によるものではなくこれまでの自分自身のルーツ、そして生きてきた中で影響されてきた様々な物事によって、完成された私の言語パターン。そうして私は人になったのだ。

と、開き直っていたらそんな私の口の悪さが度々長男を傷付けていることに気付いてしまった。

私の言葉はその意図はなくても、投げやりでキツく聞こえる時があるようで。夫と私が2人でいつも通りの気の抜けた談笑をしているつもりが、「喧嘩してるのかと思った」「怒ってるかと思った」と聞いていた第三者から言われて「なんでよ!!」と大笑いしたことが何度かあったが、笑い話で済ますわけにいかなくなった。
私の言葉が一言多かろうが言葉足らずだろうが、夫や母達ならそれを想像し頭で補填して理解し私の意図を読んでくれるだろう。自分本位な私は深く考えずにそれと同じ感覚でしっかり者の5歳の長男にも接していた。いや、正直にいえば1歳の次男にすらそうだった。「ママはこういう人間だ」ということを子供に理解してもらうには、私がありのままを晒すことが一番だと思っていたのだった。「配慮」。配慮が足りなかった。息子は5歳で、成長過程で、私なんかよりその脳は日々たくさんの刺激で忙しなく働き膨らみ続けていて、そして今はまだ彼にとっての世界の大半は私、『母親』のフィルターから形作られるものなのだった。

これがもしかしたら、親の子依存なのかもしれない。自分のお腹から出てきた小さな人が私の意思を分からないはずはなく、心は共有されているものだとなぜかなぜか、思い込む。親という生き物は、しばしばその間違いを犯すのだ。
幼い頃から父や母との分かり合えなさに気付いて反発していた私が、それを間違えるはずがなかった。ないはずだった。ないと思ってたのに!!
息子を本当の意味で尊重する日々を送っていれば起こるはずのない間違えだった。気付いた時、愕然として、自分に失望した。世界で一番大切なあなたへの思いやりを、こんなに間抜けに忘れていたなど。

何気ないきっかけでパニックになる程泣いて怒った長男に、私は「ごめんなさい」と謝った。そこで起こった出来事は私にも息子にも大したことではなく、もっと根本的で大切な問題を白状しなければいけないと直感したのだった。「ママ、いつもいじわるだったね。言わなきゃいけないことを言わずに、本当のことと違うことばっかりふみくんに言ってたね。」ぴたりと泣き止んで長男は私の話を聞いていた。かわりに言いながら、私の目からぽろりと涙が溢れてきた。
「ママはママなのに心が子供すぎて、すぐに間違えちゃうんよ。それでいつもふみくんを傷付けてたね。ふみくん、ふみくんはいつも思ったことを正直に話してね。ママもう間違えないようにがんばる。また間違えたら謝るから、その時は教えて欲しい。ふみくんはそのままでいい。ママはいつもふみくんが一番好きで、大切だって覚えておいて。本当にごめんなさい。」
息子にもわかる言葉で、なるべく私の言いたかったことを表してみた。親としてこれが正しい在り方かと問われると自信がない。そもそも、私という人間が未熟すぎるから。それでも手にした息子という宝に対する責任を、現時点で私なりに果たすとすると出た答えがこうだった。少し息子の頑なだった心が解ける感触があって、ホッとした。

遊んでいた次男が私たちの元に来て、兄を指差して「タッタ、えーんえん(兄ちゃん、泣いてる)」と、同じく泣き顔の母のことは無視して実況を中継した。

これは反省文。
すぐに間違える私のための。

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