父親と富士山に登りたい
思いたった経緯を書き出すとたくさんあるけれど
一番は父親が死んだ時に後悔したくないと思ったから。
数年前に母方の祖父が亡くなって
その時は喜んでくれることを出来る限りしたけれど
本当はいつか結婚式の披露宴で
お色直し前の中座のエスコートを頼みたかった。
その時から出来るだけ後悔したくない思いで
母方の祖母をいとこ全員でお花見に連れて行ったり
母に美味しいフレンチをご馳走したりしたけれど
父親には何も出来ていなくて。
先日、59歳になった父。
元登山部で未だに1人で登山をするくらいには元気だが
父に富士山を登る体力があるうちに実現させなくては。
あと、一生のうち一度は登ってみたいし、
父に連れて行ってもらった方が楽だろうから。
なんていうのを照れ隠しで言ってみたり。
今回の登山に至るまで。
2023年10月2日
2024年2月5日
2024年2月10日
この翌日に父先導の元、無事に登山靴を購入。
おそらく人生で初、父からのプレゼント。
今までは「両親から」だった。
靴を買う、と決まってから
母伝で父がすごい喜んでいると聞いた。
喜んでいる姿を人に見せないところ、
自分とそっくりすぎてこの人の娘だと実感する。
そんなこんなで
土日は予定が入りがちだけれど2月18日の日曜日、
靴慣らしの為に高松山ハイキングコースへ。
生憎の曇り空だったけれど
仕方ないよね、ということで決行。
両親共に変なところで娘達に甘いから
普段なら行き帰りは電車らしいがおねだりして車で。
朝5時、
最近眠りが浅くこの日も目覚まし無しで起き、
予定通り6時半に車に乗って丹沢山地に向かった。
8時頃、予定通り山北駅に到着し
高松山ハイキングコースの入口に向かう道中、
「サングラスを忘れた」
「途中で買ったコーヒーを忘れた」と
車に多数忘れ物をした父。
高学歴でしっかり者の父の老いを感じた瞬間。
あの父がうっかりをするなんて!と少しショック。
でも身軽な娘の為に重い荷物を背負ってくれていて
いつまでも頼れる父でいて欲しい気持ち。
両親の老いは受け入れていかないとね。
山の麓に着いたものの
一度車のところまで戻ったので、
約1時間半のロスだと父は嘆いていたが
私自身がうっかり者なので全然気にならなかった。
9時30分頃
登り始めは舗装された坂道。
ただ、いきない後ろから物音がして驚いて振り返ると
野生の鹿が5頭以上、道を横切っていて息が止まった。
父も真近で野生動物を見るのは初めてだったそう。
11時30分頃
先行き不安だったけれど、
途中で猟犬と出くわしただけ(野生の鹿よりは安心)で
その後は何事もなく801mの山頂に到着。
坂道は余裕があったのに階段の登りがすごく大変で
普段から階段を使おうと決意した。
山北駅に向かう道中のセブンで
山頂で食べる用のおにぎりを買っていたので
それらをペコペコのお腹に入れていると、
父のリュックからインスタントのお味噌汁と
水筒に入ったお湯が出てきてびっくり。
飲料以外の用途の水分を持ち歩いていてくれていた。
荷物重たいのに…と思いつつ喜んで頂いた。
2月、菜の花が咲いているとはいえ寒くて、
温かい飲み物は身に染みた。
他の人がカップラーメンを食べていて
すごく羨ましかった。私もいつか食べたい。
もう少し山頂でゆっくりするものだと思っていたけれど
「汗かくからヒートテックよりはエアリズムっしょ」と
安直な私が汗冷えをして身体を震わせていたので
早々に下山に向けて出発。
高松山の山頂は晴れていたら富士山が見えるそう。
第一弾の登頂としてはゴールを目にしたかったな。
道中父と何を話せばいいかわからず
あんまり会話が弾まなかった。
まるで思春期!
でも富士山の山頂に着くまでにはきちんと話したい。
話せるようになるとは思えないけど…
父とサシ飲みする目標は妹に先を越されたので
この富士山登山計画(今命名した)の中で
いつかサシ飲みをしたい。
そしてあわよくば普段は言えない感謝を伝えたい。
登りはずっと後ろから助言をしてくれていて、
下りはずっと前を歩き先導してくれた。
帰りの車では眠気と戦う私を横目に
嫌な顔ひとつせず運転してくれていた。
帰宅してからの入浴も先どうぞと言ってくれて
なんというか、本当に我慢強い人間だと思った。
父。
私が今まで出会った中で一番穏やかで
怒鳴ったりしたところを見たことがない。
尊敬出来ない部分も多々あるが
大多数の場合、家族みんな救われている。
というかもはや甘えていると言っても過言ではない。
そんな父が物忘れが多くなってきて
頼りない部分も見え始めた近年、
少し思うことがあり備忘録としてここに残しておく。
娘二人が不出来なばかりに気苦労が絶えないだろうな。
そういえば。
一度母に見せてもらったのだが
私が産まれた瞬間に分娩室でフラッシュを焚いてまで
写真を撮るほど、父は写真を撮るのが好きで
私はきっとその血を受け継いだ。
父から譲り受けたカメラはファミリー用すぎて
使えていないけれど、いつかきちんと使いたい。
コンデジ1台目のCanon IXYも譲り受けたわりには
持ち歩けていないので、これも使いたい。
私が今回の登頂で持って行ったのはKonica C35 EFで
カメラを持ってきたと伝えた時に
少し期待が含まれていた表情には胸が傷んだ。
ごめん、もらったカメラじゃなくて…
とまぁ、終着点を見失い2000字に到達しそうなので
この辺りで今回の自語りは切り上げます。
恥ずかしくて公開を取りやめるかもしれないけれど
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
富士山計画の第二弾も
きっと文章化するとは思いますが
今回と重複する部分があるかもしれません。
また読んで頂けたら救われます。
いつか披露宴で新婦の手紙を読む時に
見返そうと思います。
結婚できるかわからないけど。