考え事。

 Twitter上にアカウントを持ってから9年が経つ。

 日本語版Twitterは2008年に誕生し、2009年に携帯電話向けサイトが開設されたらしい。そう考えると結構な古株な気がする。
 始まりは友人にPCでアカウントを作ってもらったところからだ。その後ガラケーからメールでツイートをしていたので現在のような使い方とは異なるけれど、最近はニュースや小ネタなどを収集することも多く、自分の生活の一部となっている。


 9年続けていて体感するのは、ひとつひとつのツイートが形のあるものだったり色がついているように思えるということだ。例えば、三角だったり丸だったり、黄色だったり黒色だったり。時には温度を持っているように感じることもある。
 昔からというわけではないので、共感覚とは違うと思っている。また、常にそう感じるわけではないので、何故なのかはわからない。

 また、Twitterでのことだけではなく人から発せられる言葉が形を持っていると感じることも多い。言わずもがな、悪口なんかは尖った三角をしていて黒い。相手を褒める言葉なんかは丸くて柔らかく、パステルカラーだったりする。
 さらには発する側と受け取った側では同じ言葉でも感じ方が違うのではないかと考えるようになったのだ。

 これにはある明確なきっかけがある。


 大学入学後、友達と話していて「マウント」という言葉を知った。

「マウント」とは、人類を含めた哺乳類が、相手の上に向かい合った状態で馬乗りになる、乗りかかる行為を指す。
登る、乗る、またがるを意味する“mount”が由来。
マウントを取る行為は、自分の優位性をアピールすることを意味する。
その延長で、容姿や仕事、お金や恋愛について話す様々な場面で、互いに“格付け”し合い、相手よりも上に立とうとする言動や行為の全般を表す。
(引用:webサイト「numan」より)


 「この間〇〇の新作リップを買ったんだ」という何気ない女子同士の会話。こういう言葉は、発した本人は丸に近いと思って発しているのだが、受け取った側が「高級志向マウントみたいだ」と感じてしまえばそれは角をもったものになる。受け取ったものがすべてだ。

 この言葉を知ってから、言葉を発することを躊躇うことが増えた。女子会では特に。時々感情に任せて尖ったものを放ってしまうのだけれど。



 悪口のつもりなく発した言葉でも誰かが傷ついたら、それはもう「悪口」なのだ。だから私は人を傷つけることがない、丸い言葉だけで語る人になりたい。難しいけどね。

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