映画「あの頃、君を追いかけた」感想(2018年公開)
【ネタバレ注意】 ※敬称略
2020年9月1日火曜日、自宅にて。
午前3時頃になんとなく目が覚めてしまいそれ以降寝付けなかったので、観た映画の記録・観たい映画の記録としてしか使用しておらず、あまり活用できていないFilmarksを開いた。
そこで目に留まったのが「あの頃、君を追いかけた」だった。
知らないうちにNetflixで配信されていたので、「起きたら絶対に観よう」と決めた。その後の記憶はない。
上記のように、この作品は台湾で制作された映画のリメイク版である。
ヒロインに今や国民的アイドル乃木坂46のメンバー、齋藤飛鳥を起用しているだけに、公開当時は宣伝として齋藤飛鳥と山田裕貴の二人をテレビでよく見かけていた。
はじめは「飛鳥ちゃん主演かぁ…見ようか迷うな」くらいに考えていたのだが、台湾に精通している先輩がInstagramのストーリーズで「この映画、リメイク前のもオススメ!」と載せていたので少し気になった。
タイミングが合わず映画館では観られなかったものの、いつか必ず観る作品の中の一つだった。
感想を一言で言うと
「この歳(24歳)で観てよかった!」
冒頭、主人公の浩介(山田裕貴)が10年前の高校時代を想起させる形で物語が始まる。彼の年齢にはまだ届かないものの、高校時代をとうに過ぎた今、この作品を観ることができて本当によかった。
全体を通して、一般的な恋愛映画で起こりがちなドラマチックな展開はないと言ってもいい。それこそがこの作品の良さだと感じた。
繰り返しの毎日なはずなのに、楽しくて切なくて輝いていて
1日として同じような日は訪れない高校生活。
その中で徐々に育まれる恋心。
主要な登場人物7人の中で交差するまっすぐな愛。
その輪を誰も取り乱そうとはしない姿は、
まるで大切な青春を壊したくないと言わんばかり。
ちなみに、私は中学から6年間女子校に通っていたので、観賞中は些細な男女の絡みでもそれに対して常に「羨ましいぞ、このぅ!」と思っていた。
私も在学中にこんな恋したかったぁ!!
現実世界では「あの時こうしていれば」なんて許されない。
それをこの作品は物語っている。
卒業式の後、ヒロインの真愛(齋藤飛鳥)に親友の詩子(松本穂香)が誰と付き合うか決まったかと尋ねるシーン。真愛は「浩介が告白してくれたら、嬉しい」と詩子に耳打ちする。
その後、浩介と真愛はお互いの好意に気づきながらも、浩介は「真愛の気持ちがわからないから」(絶対わからないフリしているだけだって!!)と、はっきりとした告白をしないし、真愛は「浩介が付き合いたいのは美化した自分だから」と言ってわざと遠ざけようとするし、もどかしくて仕方がない。
大学入学後の二人でのデートのシーンで、真愛が浩介に「じゃあ、私のどこが好き?」と聞く。この質問は、男性からすると酷なものらしいと最近知った。浩介も「すべてだよ」と答える。
違う!今真愛が求めてるのはそれじゃダメなの!
ここでの正解は、私が思うに、その「すべて」を具体的に答えることだ。
例えば、「笑顔が可愛いところ」とか「負けず嫌いなところ」とか「言葉選び」などなど。具体的に好きなところを教えて欲しいものなのだ。
そして、真愛は明確な「告白」を待っていた。
浩介は、セリフの選択を間違えたのだ。
もし私が思う「正解」を選んでいたら真愛と付き合えたのかもしれない。
あの時、気持ちを伝えていれば。
あの時、素直に謝っておけば。
あの時、あんなことを言わなければ。
誰しも「選択」を間違えて後悔していることの一つや二つを心に留めながら生きているだろう。この映画では浩介も真愛もそれを抱えてお互いを意識しながら、それぞれの人生を歩む。
二人が疎遠になってしばらくして、大きな地震が起こる。
浩介が真っ先に安否を案じた相手は、真愛だった。
繋がらないスマホを空に掲げ一人走る浩介とは対照に、真愛はある男性に守られるように肩を抱かれた状態で浩介からの電話に出る。
真愛にはもう恋人ができたのだ。
「成長とは残酷なものだ。女は先に大人になり、男はそれに気づくことがない」という浩介のセリフ(正確にはモノローグ)がここで回収される。真愛は、常に浩介より先を歩いているのだ。
電話の中で、浩介は真愛にどうして自分と付き合わなかったのか尋ねる。
「本当の自分の姿を見せて失望させるのが怖かった」
「浩介が坊主にした日が、あの月が綺麗な日だったら、髪を切ったのが私だったなら、付き合っていたかもしれない」
今なら言えるとばかりに、真愛は「あの時」言えなかったことを吐露する。
「パラレルワールドを信じるか?そこでは俺たちは付き合っている」
浩介のこの言葉にハッとした。
「あの時こうしていれば」と後悔の中で生きていることが多いけれど、それは「今この瞬間」には関係がないことなのだ。
それをどうしても割り切れていない自分に気づかされた。
そんな「もしも」のパラレルワールドにいる自分たちに「羨ましいな」と答えた真愛はあの時、何を考えていたのだろうか。
おそらく、すでに真愛の浩介への恋心は「愛」に変わっていたのだろう。
他の作品ではあるが、以下のセリフが自然と思い出された。
本当にその通りで、作中からは言及できないけれど、浩介と真愛にとってこの恋はきっと初恋だったのだろうと思う。
浩介は変わらぬ小さな初恋を胸に抱きながら、かつての同級生たちと一緒に真愛の結婚式に列席する。
そこで真愛のウェディングドレス姿を見てようやく「もしそれが好きでたまらない人なら、愛され、大切にされるのを心から祝福できる。永遠に幸せであれと」と恋心を「愛」に変えることができた。
甘酸っぱい青春がこの瞬間に変化したのだ。過去形にはならずに。
「恋をしてくれてありがとう」
この真愛の最後のセリフには思わず声を出して泣いた。
結果として二人は付き合えなかったけれど、二人が共有した思い出、気持ちはこの後もそれぞれの心に在り続ける。きっと関係性は変わるかもしれない。それでも「あの頃」は変わらない。
青春は儚い。
高校生活は三年と短い。
毎日同じ時間に起きて制服を着て学校に行くだけなのに、
決して同じ日は一日たりともなかった。
楽しくて、苦しくて、幸せで、しんどくて、必死に生きていた。
そんな気持ちを思い出させてくれる(厳密には私にこんな青春はなかったけれど!)、素敵な作品でした。
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