来世に向けて
霧末だ。
死後の世界とは、どのようなものであろうか。
天国と地獄のような世界か。
それとも輪廻転生か。
それとも無になるのか。
仏教的には、輪廻転生のようである。
もし、輪廻転生があるのであれば、解脱しない限り、来世がある。
来世はどう決まるのか。
やはり今世の行い次第か。
となると今世は前世の行いによって決まっているということになるが、これは割と納得がいく。
この世は親ガチャという言葉が流行るように、生まれた時からえげつない格差がある。
社会的に成功している者というのは、大抵実家が太い。
また、実家が太くない場合は、能力が優秀ということになるが、その能力は両親から遺伝している。
つまり、実家が太くなく、両親の能力も高くない者が、社会的に成功することなどほぼないのである。
まさに親ガチャである。
さて、この親ガチャが当たりでない、というのはありふれたパターンであるが、それどころか、外した、なんてことになると、一気に人生はハードモードになる。
今でいうチー牛、弱者男性などは、これに当てはまるだろう。
人生ハードモードの者が、なぜ親ガチャを外し、人生ハードモードとして生まれてくるのか。
これは、前世の行いが悪かった可能性もあるのではなかろうか。
カルマである。
因果応報というのは、今世だけでなく、前世や来世にまで影響してくるらしい。
で、よりよい来世=親ガチャ当たりを狙うなら、今世で良い行いをして徳を積めば良いのではなかろうか。
良い行いというのは、仏教の五戒を守るとかであろう。
五戒
・殺さない
・盗まない
・不倫や浮気をしない
・嘘をつかない
・酒を飲まない
修行僧向けの十戒になるとさらに5つ追加されて、
・化粧・装身具を使わない
・歌や踊りなど娯楽を見聞きしない
・快適なベッドを使わない
・午後以降、明朝まで食事をしない
・金銭を所有しない
となるが、金銭を所有しないとかは現代ではほぼ不可能かと思われる。
まあ、できる限り戒律を守り、みたいな生き方がいいのだろう。
逆に、恵まれた環境にいようが人を不幸にばっかりしていたら、今世中にしっぺ返しがくるか、来世に親ガチャ外れのチー牛や弱者男性になるのだろう。
もし、来世などなくて、死んだらそれで無、ならそれはむしろその方がいい。
それは解脱のようなものだから。
だが、世の中には前世の記憶がある人もいるみたいで、実際には輪廻転生がある可能性が高そうである。
ならば、今の内から、徳を積んでおこうと思う。
来世の親ガチャのために。