自己流モチベーション論
昔から「一貫性のある人」をとてもとても尊敬し、憧れをもっていました。
具体的には、
・目標に向かってまっしぐらに突き進むことのできる人
・無駄やロスがなく、直線の最短距離で進むことのできる人
のように「強い意志をもって努力し目標を達成する」人。
一方、自分を振り返ってみると、
・「よし、毎日続けてこれをやろう」(その時は強い決心、のつもり)
→(数日後)「あれ、この前はこれをやろうと思ってたんだよなぁ ・・・まあいいや。(今度、一度気が乗ったらやろう)」
といった具合に、最初の決心が揺らいでしまう弱い自分がいます。
「3日坊主」はなぜ?
いわゆる「3日坊主」というのは誰しも思い当たることがあるのではないでしょうか? それくらい人間は「最初に決心したこと」が最後まで完遂することなく、途中で頓挫してしまう弱さをもっている動物だとも言えます。
心理学的にどういう分析をするのかはわかりませんが、今日は自分なりにこのことを考えてみました。
このことで思い出すのが、さかのぼること30年以上も前、高校生で大学受験の頃の勉強の仕方です。
受験時代の思い出
その頃、本屋さんに行って、「シグマベスト」とか、○○シリーズとか、全科目ひととおりそろえてセットで購入するのが好きでした。
購入するときの自分はこうです。
「よし! これを全部計画に落とし込み、数か月かけて制覇すれば、絶対に学力は上がっているはず (強い意志、のつもり)」
そして、結構綿密に、どの教科を何曜日にどれくらいの時間をかけて勉強する、という「学習計画」を立てていきます。
できあがった学習計画を見て、とても満足。「これで受験は制覇できる!」と。
苦労して作った計画、最初の1週間くらいは学習計画に沿って進めます。ところが、、。
2週間経つ頃には、計画どおりに進まなくなる教科も出だし、3週間目には計画はどこへ行ったのやら~、という状態でいつの間にかお蔵入りとなってしまいました。
数か月後、また別の参考書の「シリーズ」を購入。そして、張り切って「学習計画」を立てて、スタートし、しばらくすると停滞し、頓挫し、、そして、「学習計画」の残骸が積み重なってしまうことに。
私の勉強部屋の本棚には、まるで書店のコーナーの一部を移したように、こういう学習参考書のシリーズものが、いくつも並んでいました。
≪親はよく参考書代を出してくれたものだと、今思えば大変申し訳ない≫
どんな心理状態か?
このような大学受験時代の勉強の仕方の悪癖を今思い出し、その後も50年以上生きてきて、少しは意識し改善しようとしているものの、根本的には変わっていないなあと思います。
「飽きっぽい」とか「形から入る」とか、性格として処理しようと思えば、その通りなのですが、もう少し冷静に深くみつめる必要がありますね。
思うに、
『こういう自分でありたい』という「あるべき姿」のイメージ(先の受験勉強で言えば「この参考書を制覇して学力が上がった自分でありたい」)
があって、
『それに向かって何をすべきか』(先の例では「そのためには計画を立てて、それに沿って毎日勉強しよう」)を考え、実行しようとする
が、
実際にはそこまでの強いモチベーションに至っていないため、毎日やらなければならない努力の「苦痛」に耐えられず、結局負けて最初の意志を放棄
というパターンに思えます。
一流の人は、それでも「意志」で動く
イチローはすごい。石川遼君もすごい。この二人の小学生の時の作文、読んだことありますか?(ネットでもすぐ検索できます)
スポーツ選手で一流という人たちは、
「あるべき自分に対する強い意志」=努力を厭わないモチベーション
の等式が成り立っている。だからすごい。尊敬します。
そして、私のような凡人は、
「あるべき自分に対する強い意志」≠努力を厭わない強いモチベーション
この不等式のごとく、自分の意志が内発的なモチベーションにはつながりにくいのだと思います。
わかりやすく言うと、「ダイエットしたい」というのが「自分はもっとスリムな自分でありたい」という『強い意志』であるように思えても、実際には自分の願望・イメージでしかないのです。だからついつい、目の前の食欲に負けてしまう。。。
では何が「努力を厭わない強いモチベーション」につながるのでしょうか?
それは「楽しい」だと思います。
唯一、私が継続できていること。それは絵を描くこと、です。
絵を描くのは楽しい。だから今日も描きたい。純粋にこれなんです。
これを先ほどの公式に当てはめようとすると、
「将来公募展に入賞し、周囲から一目置かれたい」
「そのために、努力を重ねて公募展に出品できる力量をつけよう」
という思考に陥り、「努力」が重荷になってしまう気がするのです。
なので、自分にとって健全な思考は、
「絵を描くのは楽しい」
「人に見せて面白い絵だね~、と言ってもらえると嬉しい」
「たくさん描くうちに、おお!という絵が描けたらどっかの作品展に出すのもありかも。賞もらうなんておこがましいけど、それはそれで嬉しいかも」
くらいの気持ちで続けることです。
「好きこそものの上手なれ」
結局モチベーションの根源にあるのは、「楽しい」「これをやるのが好き」に勝るものはない、というのが私の結論です。
先月始めたばかりのnote、隠れタイトルは「一つの信念にもとづいて継続的に努力する自分になりたい」という思いがありました。その意思表明ともいえるのが、このプロフィールにもさせていただいているこちらのnoteです。
今日考察してみて、このnote自体が、昔の自分の思考をそのまま反映している負けパターン思考のものに思えます。
なので、「努力をしよう」という発想をやめて「毎日の中に楽しみを見つけよう」、それが傍からみると「努力」していると思ってもらえたらいいなあ、とそう考え直しました。
しかしnoteに出会ってこうやって自分の考えを書くことで、このたった1か月でもこれだけ考えが整理できているって、書くことの力のようなものを感じました。
今はnoteを続けることが「喜び」なので、この気持ちを忘れずにこれからも続けたいと思います。