素敵なものに押し出されて
ある日、コラムを書いていた時のこと。「自分を受け入れられないときは、そのことはいったん脇において、違うことに専心しよう。特にしたいことが思いつかないときは、トイレ掃除や部屋の片づけ、手紙を書くとか、(一般的に言う)善いことをしよう。すぐできる簡単なことでいいから」と書いていたら、急に「あっ、そうだ。トイレ掃除をしよう」と思い立ち、実際にトイレ掃除をしました。
すると、掃除の最中にこんなコンセプトがひらめきました。
例えば、何かが失われたとき、親しい人が去っていったとき、以前は、こう言っていました。「もっと素敵なものが入ってくる場所が空いたと解釈しよう」と。
これに変わって、こんな考え方はいかがでしょうか。「新しくやってきた素敵なものに押し出されて、どこかへ行っちゃったんだ」ってね。
そういえば、「トイレ掃除をすると、お金が貯まる」という、どこかで聞いた話。その話が頭をよぎることなく、ただただトイレ掃除やっていた。「新しくやってきた素敵なものに押し出されて‥‥」という、新たなひらめきに押し出されて、(お金が貯まるという話は)どこかへ行ったのかも。
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