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あるがままを味わう

 行楽の季節になりますと、庭園を拝観したいと言う人から、予約の電話が入ります。来観日までに、家人は庭の草を抜いたり、落ち葉を掃いたりするのですが、軒に張っているクモの巣に気づかないことが何度かありました。
 それを見つける度に「払い落としておくように」と言っていたのですが、最近では「クモの巣も、落ち葉も雑草も全部含めて自然の美しさ。風流なるかな」と思えるようになりました。完璧に掃除された庭なんで、人工的で、味気ないですよね。
 
 心も同様のことが言えます。「心を磨いて、美しい心に」なんて説く方もいらっしゃいますが、模範とされるような「きれいで立派な心」を目指していると、自分や他人の至らなさが目について、自分を責めたり、他人を見下したりしがちです。
 さらに、そういう自分が許せなくなって、ストレスになる。しかも、それを発散させようともしないから溜まり、いずれは、爆発してキレるか、身体が悲鳴を上げて病気となって表れる。
 心を磨ききれいにするのは、他人を意識し過ぎているからではないでしょうか。これを続けていると、窮屈で悩み多き人生にならざるを得ない気がしますが、、、。 
 心の中には、嫉妬や憎しみ、苛立ち、傲慢さ、不誠実というような(一般的には)「なくしなさい」と教えられている煩悩も、若干は入り交じっているほうが自然で妙味があるものです。取り除こうとすると、かえって執着になりますよ。
 その時々にいろんな感情が湧いてきますが、「この感情が、あの感情より優れている」というような価値の上下はないと思います。それぞれの想いをしみじみ味わうのみ!です。

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