遊行にするか、修行にするか
雑感を三つほど。
(1)これがあるから、生き甲斐をもって(または安心して)過ごしていける、と大事にしているもの。例えば、家族とか親友、健康とか仕事…。それらは、裏を返せば、自分を縛るものになる。
一方、これさえなかったら幸せに暮らしていけるのにと毛嫌いしているもの。例えば、病気とかハンディキャップ、欠点とか短所…。それらが意外にも、人生を輝かせる源になる。
(2)知人がふらりとやって来て、会社が厳しい状況にあることや、これからの進む道について話していきました。決断を迫られる時期がやってきたのでしょう。彼は、こうつぶやく。「人生は修行だからね」。
つらいことが重なったとき、「人生は修行」だと自分に言い聞かせ、納得させたい気持ちもよくわかりますが、あえてこう言ってみた。「遊行(ゆぎょう)という人もいるよ」。彼は、それを否定せずに苦笑い。
人生を「修行」にするか「遊行」にするかは、自分の人生なんだから自分で選んだらいい。 その両方が適度に入り交じった人生も一興だ。どちらかに決めつけなくてもいい。いずれにしても、人は「好み」の人生を歩んできたし、これからもそうするでしょう。
(3)「生き方」や精神世界の本に「すべての出来事は、あなたに必要だから起きている」とよく書かれています。確かに、間違ってはないとは思いますが、「必要なんだから」って強調されると、「宿題」みたいな感じがして、、、。それもまた疲れませんか?
では、こんなとらえ方はいかがでしょう。「すべての出来事は、あなたを退屈させないように起きている」。このほうが、気楽で気に入っています。