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谷川俊太郎『死んだ男の残したものは』論説文

 『死んだ男の残したものは』は谷川俊太郎著作の口語自由詩で、一連が四行ずつの全六連二四行構成である。本作は全編を通して主観での語り口調となっている。

 全ての連で「死んだ○○の残したものは」という反復が用いられており、各連の二行目にはその残されたものが記されている。第一連と第二連には「ひとり」とあり、これは人の死が身近に存在していることを端的に表現している言葉である。人は「ひとり」で生きていけない生き物だ。人は必ず人から生まれ、人のいる環境で育つ。近年の研究において「ひとり」である人は「ひとり」でない人と比較すると寿命が短いことが分かっている。つまり、人との繋がりを絶たれた状態「ひとり」であると記すことで、「男」や「女」が死ぬ前と対比させ、残された者の悲壮感と孤独感を強調する効果があるといえる。

 現在に残された者は私たちであり、私たちの他に残された者は存在しない。この効果から作者の、何かを失うことを知っている人も、知らない人も、残された者しか存在しない世界に読者を取り込むことで、第三連と第四連に記されている「ねじれ」、「乾いた」、「こわれた」、「ゆがんだ」、歪な地球を強調する意図が読み取れる。

 「兵士」が死ぬと戦いは終わる。戦闘時は戦闘以外のことに盲目的となり、意図して「何も残さなかった」が、戦いが終わると理知を取り戻し、「何も残せなかった」と打ちひしがれる。そこにあるのは形を失った死体と崩れた土地だけだ、と。

 しかし、何時までも失ったものに縋っていては残したかったものをこれからも残すことが出来なくなってしまう。「墓石」も「着もの」も「思い出」も「平和」も何ひとつ「残せなかった」が、死んでいった彼らは「わたし」と「あなた」という生きている唯一無二の存在を残してくれた。「わたし」と「あなた」が生きている限り「輝く今日とまた来るあした」は必ず訪れる。これからを築くのは残されたものなのだ。

 人類の歴史は闘争の歴史だ。これは人が生きる限り闘争は続くのと同義だといえるが、「歴史」もまた「かれら」が死ぬように、やがては死ぬ。ある人にとって過去は華やかで美しいものだったかもしれない。ある人にとって過去は苦しく壮絶だったかもしれない。だが、そんな過程は関係なく、「かれら」が残したのは「わたし」と「あなた」という結果ただ「ひとつ」なのだ。

 歴史の最前線に立つわたしたちは「死んだかれら」ではもう送ることの出来ない、輝かしい日々を送ることが出来る。人は等しく死に、人をもってまた生まれる。『死んだ男の残したものは』あしたへの希望であって欲しいと作者は生きているわたしたちに訴えたかったのだ。

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