河野太郎さん(デジタル大臣)が微妙な与太話をご自身のホームページに掲載
河野太郎さんが、ご自身のホームページでご見解を披露されていました。
これがその辺の人であれば「そういう意見なんですか、なるほどですね」で終わるところですが、なにぶんデジタル大臣兼消費者担当大臣なんですよね。うーん。
企業で法務をやっている人たちが騒ぎ始めているのは、ここで言うDFFT(Data Free Flow with Trust )については経済産業省の須賀千鶴さん(商務情報政策局情報経済課長)が21年にお話になられたこととほぼ相似形で、EU法の世界でもすでに「終わった議論」だと認識されていたのを、現職のデジタル大臣である河野太郎さんがおそらくご本人の理解に基づいて発信されたことにあります。
まず、論点として「情報はオイル」などの表現として、個人に関する情報も含めて情報には対価性があるという財産権モデルでDFFTを河野太郎さんが規定していますが、競争法分野を除き、越境データにおいては財産権モデルでは世界的にももう議論されていません。例えば、情報が格納されているデータベースが一件いくらで売買されていたとして、それはデータそのものに対する対価ではなく、データを利用することによって得られる価値で判定されます。
EU法でも米COPPAでもそのような整理となっているのは10年越しであって、企業法務で実務やってる人が椅子から落ちるのは現役デジタル大臣が周回遅れの情報の財産権モデルの流通だよって言ってることにあります。
経団連ですらその辺は分かっていて、情報はオイルだと抽象的なことも書きつつも、ちゃんと「データがもたらす価値を最大限に引き出す」とか「信頼性のあるデータ流通、国境を越えた自由なデータ流通の促進」といった表現にしています。データそのものが財産権の対象となる価値だ、なんてことには踏み込んでいません。
さらに、なぜかPETsの議論が亡霊のように戻ってきています。
そもそも、PETsを使えば国内のデータ保護規制が解消されるようなデータ処理の相応の部分は、PETsがなくても元々許されているデータ処理であって、秘密計算や差分プライバシーなどのPETsは国民・個人への決定を伴わない統計量への集計の処理に過ぎません。
そこへ、河野太郎さんが規制サンドボックス論まで書いておられます。
どこかで見たことのあるような議論ですねえ、これは。
各国による規制の断片化への対応はもちろん重要ですが、PETsで規定されるフローはそもそも認められているデータ流通であり、統計量である限りサンドボックスも要りませんから、例えばカード決済のためのクレディビリティや、通貨取引でのトラストでも別段PETsを挟むアプリやブラウザを使う必要もありません。
認証されたPETs経由でないと越境データ流通できませんよ、というのは、いま特段の問題なくデータ流通している状況において規制が加わるだけになるので、意図した政策とは逆の規制強化になってしまいます。前掲・川口将司さんが書いておられる記事をご参照ください。
むしろ、これらの世界的なデータ流通における規制で問題となるのは、むしろデータによって分析された結果から(その国の)個人に不公正で不透明な決定を下されるプロセスになると思われます。
例えば、アイルランド法人が表権しているプラットフォーム事業者が、圧倒的な情報的不均衡で優越的地位にいながら、日本の国民や事業者に対してスコアリングし、その人がやろうとしていることを日本の法規ではなくアイルランド法やプラットフォーム事業者が一方的に取引や決済の停止の決定を行うなどの問題への対処こそがデータ流通において大事ですが、PETsではなんの解決にも至りません。
このあたりの話はデータ法制や越境でのデータ流通においてはかなり煮込まれている点であり、河野太郎さんがデジタル大臣としてG7で何か言うというのは一種のブラフとして別の思惑があるのかなと思っていたら、一部思い違いもあるようでしたので念のための指摘だけしておきます。
神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント