子どもの能力は平均に回帰しない
半分以上、願望もあるのでしょうが、KYさんが記事を書いていました。
気持ちは分かるのですが、子どもの能力という観点では、概ねにおいて行動遺伝学的にある程度は親から受け継がれるものがある前提で決まっていると言え、いわゆるサイコロのような完全ランダムの確率論で平均に回帰していくのだという考え方は根本から間違っています。そう見えるのは、その勝ち組が一人か二人しか子どもを生まず、その子が引いた遺伝子がたまたま「ハズレ」だっただけで、基本的には年収1,200万は上位3.4%の勝ち組とした場合は多く子どもが生まれる限り確率的には引き続き社会に勝ち組として君臨し続けます。
で、割と興味深いのは、レガシーな教育学や教育実践学な人たちの、ある種教条的な「すべての子どもたちには可能性がある」ので「(主に公教育においては)学習の機会を平等化するべき」という議論が教育データ論争とガッツリ組み合って、なぜか児童福祉で虐待や貧困から子どもを守るという子ども見守り事業へと横展開していて、さらにそこに教育ベンダーが挟まって先行研究され、教育データ利活用有識者会議でも、それありきの議論になっています。呉越同舟というか、みんなあまりちゃんと考えてないんじゃないかと思うような事案になりつつあるのが興味深いです。
例えば、埼玉県戸田市の教育委員会が有識者会議をやっていて、これはこれで面白く、また最近は文部科学省から横田洋和さんというエースがスライドしていったので割とまともになってきた界隈があります。
そこでのアドバイザリーボードの中身をしげしげと見ていると、学校のなかでの子どもの交遊関係もパラメータ化され、できればコホートにしたいんだという雰囲気の調査計画が立ち上がっていたりします。これらの取り組みについて感じる詳細は後日書きますけれども、ここだけ見ると、例えば5年ないし10年の情報保全期間が担保されるとなると、ハッシュ化され仮名加工情報であっても再計算によってお前本人がトレースされることになりますから、学校で教師が見て「おっ、あいつクラスでクッソ浮いてるやんけ。ボッチ認定しとこ」とされた小学生中学生は少なくとも卒業しばらくはボッチフラグを立てられます。研究倫理としてはとても心配なことです。
そこにある種の教育経済学的なアプローチで「子どものどのような要素が将来の就業の助けになるのか」とか「どんな授業を行うといかなる特性の子どもが高い学力を備えられるか」などのフィードバックができるようになり、学校全体の教育ノウハウの蓄積に資すると考えているのかもしれません。
しかしながら、そこに付随する問題はふたつあって、片方が行動遺伝学的見地からの影響のほうがこれらの教育データ利活用よりも大きな変数をもっているであろうこと(ほぼ確定)、もう片方が51%の子どもにとって有効なメソッドが出てきたときそれを採用するのは学校教育全体のベネフィットだが残りの49%はスポイルすることが妥当だと誰が判断するのかという問題です。しかも、アドバイザリーボードの側が、学校教育データ(≒戸田市教育委員会)で集められる情報は借りに悉皆だとしても収集できるデータ群は基本的にスモールデータなのであって、将来多変量解析やるために多めにとっとけや的な倫理踏み越えをやっても自発的な興味関心による活動、自宅学習や学童保育、学習塾などの暗数が大きすぎて、たいしたことは分かりません。
結局、ここでこどもの成績に資するデータをフィードバックさせようとすると、資質・能力を伸ばす方向よりは、成績の急落などの異常検知ぐらいにしか役に立たず、そしてそれらの事例のほとんどは子どもの問題というよりも親の離婚や病気・失業と、不登校・ひきこもりに集約されたうえ、地域差が有意に出てしまうことでしょう。実際、それっぽい予備調査は学習塾大手でも手がけていますが、出てきた結論があまりにも危険すぎるので見なかったことにするしかないぐらい克明に出てきてしまいます。そしてそれは、教育データを利活用したい、先進性を自称する戸田市のような組織からすれば知りたくなかった不都合な現実に直面することになります。できる子ほど、戸田市を見捨てて浦和高校や私立中高を目指すという。
この手の話を政策的に中室牧子さんや成田悠輔さんらアドバイザリーボードの面々がしっかりと見据えて、自治体レベルの教育データ利活用で地元の子どもたちの学習能力向上に資するフィードバックを分析主体として手掛けるのだ、ということでしたら凄く期待するところです。
この中で(後日まとめて指摘しますが)教育総合データベースなるものがなぜか戸田市のサイトで上がっていて、しげしげと見ていたのですが、割と頑張って適切に修正がかかっていて良かったのではないかと思っています。教育長の戸ケ﨑勤さんとかいう人は駄目っぽいけど。
https://www.city.toda.saitama.jp/uploaded/life/115516_232460_misc.pdf
で、なぜか教育総合データベースの利用目的が子ども見守り事業になってます。「子供たちが誰一人取り残されないためのデータ連携」となっていて、「SOSを早期発見することでプッシュ型の支援を行う、いわば『先手』の対応」となっておるわけですが、しかし教育総合データベース上では連携データが全児童生徒を対象としたうえで「当月10日以上欠席者」や「年間30日以上欠席した児童生徒」になっています。
もうすでに休んどるやんけ。
どこが先手なんだ。お前らがやるべきことは、そういう月10日ぐらい休みそうな子どもを見つけて教育の現場で対処するような「先手」をデータ駆使して予測して対応することなんじゃねえのかよ。
で、たぶんAiGROWを使って云々というときに、いわゆるBig-5(OCEAN)モデルを使って子どものパーソナリティ解析をして、これを公教育の現場にフィードバックさせますよという話が出てくるのだろうと思いますが、日本教育工学会での内容を見る限り、これを教育データ利活用の元データに利用して良いのかどうかは、子どもの内面に関わるものであると見繕われるので濃いグレーではないかと思います。行動遺伝学的には正しいものだとしても、公教育に通う全子どもの内面をBig-5で計測してフィードバックして個別最適化された学びで活用しますよというのは、一本新しい法律がないと駄目なんじゃないの、これを自治体の条例や教育委員会方針で策定してるのはどういうことなの、という感はあります。
(木村充、福原正大、田代琴音「潜在的連合の測定による5因子性格検査ツールGROW-IATの開発と評価」日本教育工学会第33回全国大会、平成29年9月18日.)
で、これらがまるっと「非認知能力」という言葉で、それらしく調査項目にはいって利活用される前提となっているのは個人情報保護法以前に憲法問題ですから、あとから市民から情報開示請求が出たり、違憲訴訟でも起こされたら火だるまになる覚悟で先行研究していただきたいと思っています。これ、日本でも米COPPAに準拠した新法を作って子どもに関する情報を規制する法律を考えましょうとか始まると関係者全員焼け死ぬ事案ですからね。光の速さで違法になります。学校という、組織と子どもの間での信認関係はありつつ子どもが事実上の従属関係となる仕組みで、Big-5のように子どもの内面そのものに関する情報を取るよ、それを分析するよというのは情報法クラスタが手に手に槍や斧を持って闖入する世界ですから。
「じゃあどうすればいいの」ってのは重要な論点で、その辺は成田悠輔さんが出てきて「衰退する自治体にはどうせ子どもがいなくなるんだから集団自決しろ」とでも打ち上げてくれればそれでいいんじゃないかと思いますが、実際には子どもに関するデータを一番持っているのは文部科学省でも自治体でも教育委員会でもなく実はプラットフォーム事業者であり、教育ベンダーです。お前らどんなデータ持ってるの、いかなるアルゴリズムでその個人に関する分析をしているの、という話を、本来ならばコントローラーとして担わなければならないのですが、残念ながら22年改正個人情報保護法ではコントローラー概念が入っていません。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jjet/44/1/44_43093/_pdf
この場合、基本的な頭の良さでありエンジンの出力にあたるFSIQ(全知能指数)が同程度の子どもの場合、協調性や開放性の高い子どもはファリシテーションの如何に関わらず成績(評点)が上がる傾向にありますが、本来、一人ひとりに最適化された学びを本当に追及するのならば、むしろこれらの適性が生まれつき低い子どもにこそ学びをエスコートして達成感を与え向学心を持たせなければなりません。
そして、これらの知能指数や非認知能力は遺伝の影響を受けます。裏を返せば、学力はもちろん、抽象的な事柄を理解したり、物事を達成するのに必要な能力は、相応の割合が遺伝による影響を受ける以上、充分な子どもの数を儲ける限り「高収入な人の子どもは平均に回帰しない」と導き出されます。偉人の子どもがクソ馬鹿だとか、一代成り上がりの富豪がドラ息子を作るのは平均への回帰というよりは出生数が少ないだけだろうと思います。
なぜかこの手の教育データ利活用の議論がこども家庭庁設置議論を経て「子どもの見守りを強化して虐待・貧困から守る」方向へ急旋回したこと、戸田市も含めて利活用の根拠が市条例レベルだったこと、公教育では実はたいして教育データが集まらずどうにもならんこと、教育経済学の連中がやりたがるような追跡調査は内面の自由もあってそう簡単ではないことあたりが今後の論点になっていくでしょうか。
画像はAIが考えた「戸田市教育委員会が勝手に子どもの内面を分析した結果」です。