石川良一さん、ありがとうございました

 都議補選が終わるまで書くまいと思っていたのですが、終わったので書きます。

 先般、長らく稲城市長や南多摩選出都議をお務めになられ、闘病の果てに石川良一さんが亡くなり、単身お通夜にもお伺いしてお別れをしてきました。個人的にご親交があったのはだいたい6年前ぐらいまでで、去年ご病気をされた際も一時ご復帰直前に一度お見舞いさせていただいたのみで、かなり不義理をしておりました。

 いろいろありましたが、込み入った話は機会があればまた後日どこかで書きたいとは思います。

 もっとも、お付き合いこそ本当に長かったんですけど、共通の友人や行きつけのお店でご一緒していたのは政治家・石川良一とメディアで何か書いている人・山本一郎との関係ではなく、本読みとか歴史ヲタとして、いろんな教養を楽しむ知人同士として緩やかなお付き合いをさせていただいていた、という感じでした。私にゴルフや自転車を熱心にお薦めくださったのも石川さんでした、ただ私は持病があるので、あまりそういうアクティビティではご一緒することはなかったです。

 むしろ、稲城市市長をお務めだったときに「生まれ故郷の稲城市をどうにかしたいんだけどなかなかむつかしいんだよなあ」という愚痴を何度か口にされたぐらいであって、こっちも「ああ、大変でやんすね」程度の応答しかしておらず、いま思い返すとなんだこの枯れた関係はと思わないでもありません。あんま政治の話はしなかったですね。

 ただ、であるからこそ、ゆるゆるとした志の炎をたゆたえながら、地方行政を知る者として各党をその後も渡り歩いた石川さんと長くお付き合いできていたのだと思いますし、同じ店の準常連としてや勉強会などでご一緒する以外は数カ月に一度、思い出したようにご連絡を戴き、知人同士集まって少し飯を食べ、結局本題は政治ではなくガンダムとかお城の話をして終わる、という。

 今でも覚えていますが、旧民進党に移られた直後ぐらいに、私も少し驚いて「石川さん、何をされたいんですか」と電話をしたことがあります。なんかこう、機を見てふらつく感じの人じゃないので…。ただそのときは、当時の維新の会(結いの会と一緒になり、共同代表になった石原慎太郎さんと当時秘書だった人とはかなり仲が良かった)に対する失望はかなり聞かせていただいたんですが、あまり他人や組織のことを悪くは仰らない石川さんが気の毒なぐらい落ち込んでいた時期もありましたので、地方自治のリアルを知るベテラン政治家でもこういうことがあるんだな、とぼんやり思ったりもしました。

 私も東京出身ですが、生まれは中央区八重洲、そこから赤坂、四谷、中野、杉並と移り住んだ人間ですから、あんまり郷土愛というものはピンと来ず、下町ではない江戸っ子気質があるぐらいでしょうか。他方、同じ東京でも稲城市という都下の穏やかな地域に対して深い愛情を注いだ石川さんを見ていて、国際人であるはずの志ある政治家がここまで地域と一緒に汗をかけるものなのかと驚いた面もあります。私にはできない、という意味で。

 ちなみに、多摩ニュータウン再開発の話や、稲城市が住みやすい自治体上位に入っていること、地域の所得でも自治体ランキング上位であることも含めて、いわゆる「東京のレガシー」について知見をお持ちだったのも石川さんだったと思います。保守主義者である私は、込み入った話を石川さんとすると機嫌を悪くされるのであまりしませんでしたが、政策面では、特にインフラ面(新規もメンテも)や健康・公衆衛生に関して非常に芯のあるお考えを持っておられました。

 東京の首長経験者でありながら、地方政治が日本にとっては極めて大事だと仰い続けていたのは記憶に強く残っています。訃報を伺って、ギリギリでお通夜に飛び込んだのですが、顔見知りの都政関係者も多数参列する中で最低限のご挨拶ができてホッとする一方、もう少し仰いたいことがあったのかなとも思いました。弔い合戦というわけではありませんが、劣勢を伝えられていた南多摩での都議補選、相手候補も優れた人物ながら遺志を継ぐ形で遠藤千尋さんが戦勝されたのは、添えた花として良かったと言えるでしょうか。石川さんなら「いま勝つ負けるは関係ないんだ、どう続けていくかなんだ」ってお話されるんじゃないかと思ったりもしますが…。

 長らくお疲れさまでした。神に御許に召された石川良一さんの魂に限りない平安があることを、心からお祈り申し上げます。

神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント