お別れと、出会いと
私も先日49歳になったのですが、さすがにこの歳になると長らく馬鹿をやっていた友人たちの体調が悪くなったり、こともあると悲しいお知らせがやってくることも増えてきました。
殺しても死ななさそうだったのに、私のほうが先に逝きそうなものなのに、惜しいくらいいい奴だったのに。
それもまた、生きるということなのだ、と割り切ることができないのは、半世紀ほどの間、同じ時代を生き、肩を叩き合い、お互いに夢も語り合った人たちが志半ばも同様に、さまざまな人を遺して彼らが逝くことがどれだけ辛いことなのだろうと思うと勘定で割り切ることもまたむつかしいんですよね。
お世話になった方が引退をされて、しばらくお目にかからないでFacebookでも少し近況報告をなさらないなと思ったら闘病されていたり、まあいろいろです。我が身を見返して、他の皆さんの健康をお祈りしつつ、自分は自分でしっかり健康であろうと思っても、腰は痛いわ尿酸値は下がらないわでガタが来ているのは実感するわけでね。
人生100年時代の折り返しだと思って、仮に幸いにして前半戦だったとしても、それなりに飛ばして走った反動が後半戦に来るんだよとなれば、一度きりしかない人生の残りはそーーっと生きていくしかないのでしょうか。
そんなしみじみとした心境を抱いていたこの年末年始、長らくお世話になっているファミリー系財団にオミクロン前のご挨拶に足を向けました。老オーナーは数年前に亡くなっているものの、私と仲の良いご子息が理事長をしておられ、老オーナーご生誕の地はいまや立派なスキーリゾート地としての復活を果たしておるわけです。
で、話をしていると脱コロナ時代にこういうリゾート開発をしたいという非常に高い理想をご子息が話すので、リゾートには何の造詣のない私も「いや、たいしたもんですね。素晴らしいじゃないですか」というと、ご子息が頭を掻きながら「いや、これ父(老オーナー)が生前考えていたことなんです」と。
まあ、びっくりするわけですよね。確かに生涯現役というか、朝からゴルフだ麻雀だ、夜は銀座だ六本木だと爺さん元気だなと思っていたような人が、周辺に様々な迷惑はかけつつも人生の最後の最後まで、新たな挑戦を目指して投資計画を作っていたなんてね。
人生折り返し地点だ、周りの連中が先に死んでいって鬱だと年越しに悶々としてたら、そんなことはまったく気にせず生きた時間の残り一滴まで活動をし続けた爺さんは何と輝かしいことか。
聞くだに、75歳ぐらいから思い立ってホットヨガ始めたりして、家族も「それはどやねん」とさすがに感じたそうですが、亡くなる直前までホカホカ汗をかきながら楽しんでいたようで、確かに75歳から始めても10年以上やっていれば高齢でも熟達するものなんでしょう。
もういいジジイだ、友人もバタバタ逝き始めた、次は私の番だとしょげ返って老け込むよりは、持病ありの身体を大事にしながら新たな一歩を踏み出すことの重要さを改めて知ったのでありました。
(※ 本稿は、ご遺族のチェックを経て、ご了承を戴いて掲載しています)
神から「お前もそろそろnoteぐらい駄文練習用に使え使え使え使え使え」と言われた気がしたので、のろのろと再始動する感じのアカウント