維新の社会保障政策がどう見てもヤバいんだけど、じゃあどうすんだよと聞かれても明るい出口見当たらないよなって話
先日国民民主党の玉木雄一郎さん以下議員の皆さんも変なレクを受けた影響か「医師の給与の伸びをサラリーマン程度まで下げろ」と言い始め、そら自由診療で美容整形外科やクソみたいな代替医療、PCR検査などやってるクリニックが全体の平均俸給を押し上げた結果で、普通の勤務医や儲からなくなった地方の開業医など医療クラスタ(医クラ)の皆さんから総バッシングされ撃沈するという椿事がありました。
医療クラスタは儲からなくなったくせに何と怖ろしいのでしょう。私も二度と医クラには関わりたくありません。
そこへ、公明党の伊佐進一先生と、維新の青柳仁士さん、音喜多駿さんが社会保障政策の改革メニューを巡って論戦していました。
先に私の考えを書くとこんな感じになります。
他方、日本維新の会の青柳仁士さんはnoteで経済対策としての社会保険料減免案を提示していて、中身を見るとなるほど維新はあんまり社会保障について興味がないので国民が負担に思ってるからやめちまえぐらいの気持ちでしか政策を見てないのだなと思います。
これだと確かに見た目の社会保険料負担額は現役世代において減るのは事実ですが、減免が発生した瞬間から不足分が発生し秒で税金投入が発生しますから、結局は所得税など税負担を担う現役世代から社会保険料経由ではなく納税から社会保障負担が発生するだけです。
これを避けるには、ここで言う「後期高齢者医療制度分、介護保険分、国民健康保険の65歳以上分」の給付を減らす法案を通すしかありません。他方、介護保険はそんなことをしたらこちらも秒で介護保険制度は崩壊してしまうんですが、厚生労働省は厚生労働省で検討会議で堂々と「国の公費負担を増やす議論も必要」などと与太話を飛ばす馬鹿を送り込んでくるなど保険制度の根幹が崩壊する議論をしていますので大変なことになっています。
いずれにせよ社会保障全体の給付水準を下げる必要があると維新が言うのは「制度がもたないから」と「国民の社会保険料負担が限界に来ているから」というのはもっともなんですが、一方で音喜多さんが「再分配のお陰で貧困率が上がっている」と社会保障方面の人が椅子という椅子から音を立てて落ちる議論をしており、しかも維新内部でそれが正論として公然と語られているみたいなのでどうしたものかと思うんですよ。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/list/dl/96-1/R03press.pdf
厚生労働省の調査結果を引くまでもなく日本は再分配が進んでいるのでジニ係数が概ね横ばいのまま推移しており、ただし絶対的貧困率については先進国の中では15.4%(2021年)と先進国の中では高めになっています。
https://www.mhlw.go.jp/toukei/saikin/hw/k-tyosa/k-tyosa22/dl/03.pdf
また、絶対的貧困率が高いのもまあ事実なんですが、これが日本の再分配制度の所以で起きていることなどではなく、単純に国民年金一本で暮らしている高齢者世帯が多いからという面が強くあります。月額8万円の年金生活を送っている単身高齢者がそれだけ我が国には多いのだ、ということなんですよ。
https://www.oecd.org/tokyo/statistics/poverty-rate-japanese-version.htm
生涯単身者だった人や、離別、死別などで伴侶がいなくなり1人暮らしとなる高齢者は、基本的に高齢期を貧困のうちに過ごさないといけなくなるという話ですね。
で、そういう人たちが年金で暮らせない状態のうちに、維新が「社会保障の給付水準下げるっすよ」ってやると、これらはぞろぞろと生活保護に回ってきます。そっちのほうが、給付水準が高くなるからです。国民の権利ですから当然だし、仕方ないね。
そして、そういう雪崩のトリガーは(おそらくは)介護業界・介護保険制度の崩壊と、厚生労働省が地域包括ケアと称して進めてきた地域支援体制の行き詰まりが原因となるでしょう。これ、本当に人が死ぬ話なので、どうにもならんのですよ。
生産性が低くて資産もないのに、国が扶助して高齢者が生き長らえているけど、そのカネは労働世帯が払っているのだから、労働世帯が人口減少で細っているいまこれ以上負担できなくなったんで生産性が低くて資産もない高齢者には死んでくださいというのが維新の政策の根幹になります。
仮に維新が政権を取って、小さな政府を趣向し、低負担低福祉の日本社会が実現すると、その辺のセーフティーネットが縮小されますので、本当に地方で貧困状態にある単身高齢者はたくさん死んでいくことになります。
さて、ウズネコさんがこんなポストをしていました。
いわゆる「世代間格差論」ですね。ではこれは本当でしょうか。
90年代、何故介護保険制度が成立したのかを思い返していただきたいのですが、要するに「寝たきり老人」が社会問題化し、それと併せて家族が年老いた親の面倒を見るために東日本だと長男が、西日本だと長女が「介護離職」や「介護を理由とした未婚」を激増させる中、すでに始まっている少子化の状態で長男長女が親の面倒を見ることで爆発的に未婚と少子化が進んだことが背景として挙げられます。
高齢者問題の映し鏡は、確かに高齢者単体で見ると世代間格差の対象となるけれど、そういう高齢者を支える家族が受益している場合もまた多いのだという点につきます。公的保険の給付額が多いように見えるのも、これらの介護がある程度めどがついているからこそ家族が介護負担から解放され、就業や育児ができているという家庭内連鎖・受益の仕組みを無視して議論を進めるべきではありません。
逆に、未婚男女が高齢化してしまい、子どももなく暮らしていくのは純粋に給付における世代間格差に直結します。今後、社会はこういう結婚ができず子どものいない世帯に関しては、支えられなくなっていくのは自明と言えましょう。
同様に、いま「ヤングケアラー問題」は社会問題とされています。しかし、これは本当に社会問題でしょうか。これから介護や医療などに関する給付を減らし、公的部門から地域・家庭に高齢者支援の枠組みを移していくことを検討していくのなら、貧しい家庭の働き手として子どもが祖父祖母の生活の面倒を見ざるを得なくなる政策になっていくのは当然といえるのではないでしょうか。
結局、みんな介護などしたくないのです。生産性のなくなった親が、やることなく日々暮らしている面倒など見たくないんですよ。しかし、いっちょ前にいろんなことは言うし、飯は食うし、車に乗せてどこか連れてけというし、孫に余計な教育はするし、これ以上、生産性のない高齢者にカネは払いたくないとみんな思っているのです。
まだ親族であれば親なり叔父叔母なりをどうにか面倒見るのが子の務めと思えるうちは良いのですが、子どもにも自分の家庭があり伴侶がいて生活もあるぞとなると、同居はできない、近隣でも暮らしたくないという判断が出ることもあるでしょう。
そうなってしまうと、維新の政策の評価とは別に、いかに社会的にカネをかけずに高齢者に余生を楽しんでもらうかという話にならざるを得ません。私は介護保険は死守するべきと考えているのは、いくら見ず知らずの高齢者であっても、同じ日本に生まれ、日本人として同じ社会で暮らし、同時代を生きてきた人が「日本人として生まれてくるんじゃなかった」というような惨めな最期を迎えて欲しくないからです。
他方、無い袖は振れないのも事実であって、生産性の低い高齢者が亡くなるまで国が面倒を見るほど余裕は無い以上、近い将来、やはり国営姥捨て山議論や、延命の見込みのない高齢者には自らの意志で延命治療を行わない尊厳死や、意志をもって積極的な死を受け入れる安楽死の法制議論は出てくるんじゃないかと思っています。維新が本当に社会保障を考えているのであれば、先にこっちの議論だろうと思うんですよね。
アシュリー事件含め、この方面の政策には社会的に同意しかねるおぞましい事件が起きてきたのは事実であるし、児玉真美さんの記事のような論考があるのも理解するとしても、現行の社会保障については国富と貧困の観点から「もうこれ以上は高齢者を社会的に支えられない」という意志とは別に「本当にインフレが進み制度上どうにもならず、社会機能がいろいろ停止してしまって人が死に始める」前にどうにかしないといけないというのが本論です。
https://www.minnanokaigo.com/news/yamamoto/lesson68/
これら社会保障の制作と現実に関する議論は「不安を煽る」のではなく、語られなければならないことを避けて通っているに過ぎない状況からいかに脱却するかが肝要なのではないかと思います。
これと並行して、いまの社会保障制度の問題は、まぎれもなく少子化が原因の片翼である以上、政策面が社会的要請として国民に「結婚しろ」「ちゃんと子どもを産め」「子どものいる世帯に政策的な重点を傾ける」と言えるかという問題も起こします。
我が国の少子化対策が隔靴掻痒なのも、政策的には国民に結婚や出産を強要できないので、子育て支援や教育予算の拡充でどうにかしているだけであって、婚姻数が増えなければ子どもの数も増えないのですから、制度的に力づくでも子どもを産ませる方向に制度変更していかなければならないでしょう。
画像はAIが考えた『必要なことなので話をしなければならないが、タブーすぎるので慎重に話さないといけないので、みんな口を塞ぐような状況になって議論がちっとも進まない状況』です。