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しなやかで愛らしい私の親友

それは,幸運だよ!
あなたの素敵な日は続いてるよ!

こんにちは!きりぎりすです。
お忙しい日々の貴重な時間をありがとうございます。

私はこれまで
人生とは
自分が自分のために利益をあげるためだけ
あるのだと
本気で思っていました。

家族仲も最高に良いので,
正直に申し上げて

”Bestie(親友)”

というものが分かっていませんでした。

けれどもむしろ,
分からない人の方が割と多いのではないかなと
予想しますが,
どうなのでしょう?
あなたのBestieは誰ですか?

今日のお話に入る前に
私のこれまでの友情に関する経歴を
簡単にだけ言わさせて下せえ。

学生時代は
特に困らない程度に友達がいました。

毎日の学校生活は
とても楽しかったし充実していたと思います。

卒業してから
今でも会ってくれる人は
想像していた以上に多いです。

こんなに恵まれた状況を
生み出してもらっているにもかかわらず,
何故か知らないけど
ちょっと前までの私は
これを「普通」だと
思ってしまっていたんですよね。

まじでその性根叩き直してやる!!です。

なんと
傲慢なのでしょうか。
本当に。

蔑ろにしていたというわけではないのですが,
愛情に溢れていたなんて
口が裂けても言えないですね。

だから,
そのあまりの希少性に気づいてから
これを反省しない日は無いです。

今回は
ドイツ生活が始まって
このBestieが
いかに素晴らしくて
Wunderbar
(ブンダバー:信じられないくらい素敵すぎる)
かが分かったので,
紹介させていただきたく存じまする。

Bestie File.1:”Nachbarin”


ホームシックがひどすぎた
はじめの週。
私は一人
暗い部屋で泣きまくっていた。

どうしたら良いのか分からなかったから
とりあえず
YouTubeやAmazon Primeを
見漁っていました。

けれど急に
「ドイツと言えば散歩じゃない?」
と思い立って,
その10分後には
外に出たのです。

すると,
隣に住む
キラキラした透き通る目を持つ
年齢は一個下だけど
私よりも遥かに大人な女の子に
出会ったのです!

お隣さんだったから
ドイツ語でお隣さんを意味する

Nachbarin(ナフバリン)

と呼ばせていただきます。

お恥ずかしい話,
その時期の私は
ドイツ語も英語も
ろくに話せない状態でした。

けれどこの女の子は
素敵すぎる性格にとどまらず,

ドイツ語も英語もペラペラに話せるという
さらに何とも素晴らしい能力を持った
Wunderbarな女の子だったのです。

クラスメートとは
基本ドイツ語で話すけれど,
やっぱりコミュニケーションが
難しいときには英語が出ます。

それくらいの程度の英語なら
私も理解して話す事が出来るのですが,

休憩時間とか放課後に
もうワーッと
リニアモーターカーか!
というくらい速い英語で
話すときがあるんですよね。

そういう時は
分からなくても止められないから
不本意だけど,
笑って流していたんです。

そうしたらなんということでしょう。
Nachbarinが
通訳してくれるのです。

申し訳ないという気持ちと
でもありがたすぎるという気持ちと,
もっと英語が話せる聞ける人間になりたいという気持ちで
私の頭の中は入り混じりました。

まるで,
英語を話す民と私の架け橋になってくれたのです。

当時は物凄く
恥ずかしかったし
申し訳なかったけれど,
私が英語を話せなかったおかげで,
2人だけで話せたことも
たくさんあったから
今考えると本当に良かったなと
逆に感謝さえしている強かな私。
(反省しろ。そして勉強しろ)

彼女は
優しくて,しなやかな女の子
なのですが,
なぜ私が
Nachbarinのことを

優しい上に,しなやかLady


と評するかと言いますと,
以下のようなことが挙げられると思います。

まず,
さっきから
私みたいな会話に置いて行かれる人を
放っておかないような
底抜けの優しさは
長々話したからお腹いっぱいとして,

しなやかをどこで感じていたかと申しますと,
圧倒的に,
彼女の話すときのボリュームが
たとえヒートアップして興奮しても
大きくなりすぎないところからですね。

もうこれは本当に才能と言っても
過言にはならないでしょう。
もしこれが過言だというなら,
あなたは相当の才能を持っていますから
めちゃくちゃに誇っていいと思います。

私は白熱すると
うるさくなりすぎて
いつも反省するくらいなのに
Nacharinは
そんな私と話していても
しなやかで愛らしいんです。

加えて,
当時の私は特殊で
みんなのドイツ語からすると,
ずば抜けて話せない分からない状態
だったから
「パッション」が
コミュニケーションの武器に
なってしまっていたのです。

そんな状況さえも理解してくれていたのか
ニッコニコしながら
話を聞いてくれて,
ニッコニコしながら
自分の話もしてくれました。
今でも鮮明に思い出します。

そんな中で,
彼女の人間性の素晴らしさを

強烈に実感した日


があったのです。

この話にタイトルをつけるならば
「フンと幸運」
になるでしょうね。

これはいつものように
夕方を散歩していた時に起きた出来事です。

私はその日,
信じられないくらいの親切に出会うという
時々あるラッキーデイだったわけです。

それを
ちょっとずつ話せるようになったドイツ語を使って
調子に乗って
ペラペラ話していたんですよね。

Nachbarinとは物凄く波長が合っていたのか
言葉はきっと
母語でいう幼稚園生くらいのレベルなのに
たくさん笑えて
幸せ~!って感じでした。

するとどうしたことでしょう。
私の肩に鳥さんからのギフトが
降ってきたではありませんか。

正直動揺しあげました。
今までに1度も
それが直撃するなんて
なかったからです。

本当に動揺したのですが,
その間もないくらいに

「大丈夫大丈夫!
あなたの素敵な日は続いているよ。
これは幸運だよ!」

と言いながら,
私の肩を一緒に拭いてくれるのです。

しかもティッシュに
自分の水筒に入っている
水をつけながら。

汚れを落とそうと落とそうと
拭いてくれるのです。

私ははじめての出来事であるということと
フンはただの汚いもの
という考えから
物凄く動揺したのですが,
その後に悩まなかったのは
Nachbarinの
素敵さのおかげです。

そんな彼女ももう遠くに引っ越していますが,

最終日


「絶対に私たちまた会うよね!」
という意味で
「Auf Wiedersehen」
と何度も何度も言いました。

その時に何度もハグをしましたが,
その力強さと
潤んだり収まったりするあの綺麗な目を
私は一生涯忘れないんだろうなと
悟りました。
(今思い出しても,泣けてくる)

毎回記事の最後に言っている
「Auf Wiedersehen!」ですが,
「さようなら!」という
日常の使い方ではなく
「もう一度会いましょう!」
という意味を最大限に込めて,
使っております。

Am Ende

もうお別れしてから随分経つのに
こんなにも鮮明に
当時のことが分かるのは
何故なのでしょう。
なんで世界ってこんなに広いのかなー!
会いたいよーーー!

以上!
「私のBestie File.1 Nachbarin」
でしたがいかがだったでしょうか。

私は本当に
人に恵まれているなと
心から思いながら生活できています。

この子とのお別れで
人と会えていることは絶対に当たり前じゃない!
と初めて自覚できたのです。

そんな
優しくて周りを見られる
素敵なNachbarinとBestieになる事が出来て
幸せです。

サヨナラじゃないもん!
また会うんだ!!

今日の素敵言葉!

友情は瞬間が咲かせる花であり、時間が実らせる果実である。

コッツェブー(1761-1819)

なんてこったパンナコッタ。
もうまさにそうよ。

そりゃあ,
一緒に過ごした期間は本当に短かったけど,
それは本当に美しかった。

あんな人になりたいと思うと同時に
私自身がそう思ってもらえるような
人生を歩みたいと思う。

精進します。

最後まで読んでくださり,誠にありがとうございます。

では,またお会いしましょう!
Auf Wiedersehen!

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