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祖母と見ていた甲子園

「栄冠は君に輝く」が流れる夏の朝,
一階に降りると美味しい朝ごはんのにおいがしていました。

こんにちは!きりぎりすです。
お忙しい日々の貴重な時間をありがとうございます。

今,熱中しているものは
何ですかと聞かれて
挙げられる確率が高いであろう
こちらの話題について。

そう!甲子園。

甲子園とは,
ざっくりと説明すると

高校球児たちが
汗と涙の物語を繰り広げながら
一生懸命ボールを
投げたり打ったり
捕ったり走ったり
する大会の中でも

最も注目をあびるのではないか!
という夏の風物詩です。

私はこれが大好きで大好きで
堪りませんね。

あの暑い中を
一生懸命に
泥だらけになりながら
必死で試合をする姿が
とても好きです。

基本的に負けているチームを応援する
というのが
私たち家族の
暗黙の了解です。

弱いと言われるチームが
最後の最後まで
逆転できなかったり,

強い強いと
評価されていたチームが
番狂わせなのか
早めにリタイアしてしまったりと

本当に沢山のドラマがあります。

そんな甲子園ですが,
私にとっては
また別の大きな意味を与えてきます。

甲子園が始まると

転がるように夏休みが終わっていく


のです。
これに関しては,
本当に共感できる人も
いるかと思いますが,

あの,
時が流れるスピードは
尋常じゃないと思います。

しかも,
毎回毎回そうなのに
何も学習せず
信じられない量の宿題を抱えている
怠惰な私にもまた驚愕するなど

甲子園のドラマは
球場だけで起きているわけではない
というわけです。

ただ,幸いなことに
段々要領を得てくるものなのか,

この時期に
ラストスパートをかければ
始業式の日には
何の問題もないという
感覚になってきます。

人間が本当に
野生だったんだなと
思わされる瞬間の一つですね。

コントロールできないものと
コントロールできるものが
合わさると,
野生の勘が働き始めるのでしょうか。

私はルーティンが無いということが
最近小さな悩みとして成長しつつあるのですが,

この期間のルーティンは
決まっています。

熱闘甲子園を見てから寝る


これがもう本当に面白いんですよね。

私は生粋のテレビっ子として
自己紹介したいくらいには
テレビが好きなのですが,

この時期に
熱闘甲子園を見逃すと,
24時間引きずります。

そのくらい,面白いです。
というより趣深いです。

今はドイツにいるから
日本にいる家族との時間が合った
最高のタイミングでしか,
観る事が出来ませんが,

Xに速報してくれるものが
あるではありませんか。

本当に
国境とか
国と国の距離とかを
何の労力も無さそうに
平気で乗り越えてくる
インターネットに驚きを隠せませんが,

ありがたいことには
ありがたいのです。

ただ,
スマホで見るのは
どこか違います。

やはり
クーラーの効いた涼しい部屋で
お風呂上りに
髪を乾かすことを面倒くさがりながら
寝っ転がって見る
熱闘甲子園に
勝るものはないのではないかと
思います。

それくらい
夏の風物詩です。

試合自体は見ないのか
野蛮だ!
などと言われるかもしれませんが,

これがちゃんと見ているんですね。

それでいて熱闘甲子園も見ると
また余計に深いのですよ。

試合観戦は,

祖父母の家で


というのが多かったです。

朝起きていくと,
もう既に甲子園を見ている大人衆。

幼い頃は
何が面白いんだろうと思いつつ,
祖母の作る朝ごはんを食べていましたが,

大人になるにつれて
その面白さが分かってきたんですよね。

何とも不思議。

朝ごはんを終えると,
試合観戦を一度中断して
孫のために
オレンジやスイカを切ってくれるおばあちゃん。

朝食もモリモリあったので
食べきれないんです。

それにも気づいていて
「多かったら,残していいよ」
と優しい優しい笑顔で
台所から声をかけてくれるのです。

ああ,
今書いていて,
あの頃に戻りたいなと
思ってしまう。

ノスタルジーは
時に私を救ってくれるけど,
時に私を苦しめる。

まあそれはいいとして。

私は
おばあちゃん大好き人間でした。

最近はもう祖父母宅に泊まることはなかったけど,
幼い頃は頻繁に泊まっていました。

そんな小さい頃の私の口癖は,
「あと何日間,ここで寝られる?」
でした。

畳の上に敷かれた布団へ寝転がり,
木目の入った天井を見つめながら問うと,
祖母はきっと答えを知っていたのに
「たくさん泊まれるよ」
と答えていました。

10が最も大きい数字だった当時の私が
「10回泊まれるってこと?」と聞くと,
「そうよ!いつでも泊まっていいんだよ」と
隣で横になる祖母は
優しく答えていました。

多分そんなに泊まっていなかったのだけれどね。

それがまた私をノスタルジーに
引っ張るのですよ。

でも今考えると
10が最も大きな数字だった私も
もはや,
xやyなんていう
一見数字とは思えないものを使って,
どこまでも行けるようになったり,

日本語ではない別の言語を
話せるようになったりしているのだから,

そりゃその対価として
時が過ぎていることに
文句を言うことは出来ないか。

得るためには
失わなければならないなんて,

本当に時間って残酷。

Am Ende

夏は長いけれど,
とても短い。

人生もそう。

もう祖母に会えないことを実感するのは
いつもいつでも夏です。

もっとあんなことをしておけばよかった,
こんなことをしておけばよかったと
何度も思います。

だから私は
ここで偶然にも出会った
祖母に激似の
ドイツのおばあちゃんとの日々を
大切に大切に
過ごさなくてはならないと感じています。

今日の素敵言葉!

昨日から学び,今日を生き,明日へ期待しよう

アインシュタイン(1879-1955)

まさにそうですね。

私の祖母は
本当に本当に
溢れんばかりの愛情を持った人でした。

私はそんな素晴らしい人の孫なのだから,
祖母を想って泣くだけじゃなく,
祖母からもらった愛情を
別のあなたにあげられるように
生きていこうと思います。

全ては昨日と今日と明日の繰り返し!!

最後まで読んでくださり,誠にありがとうございます。

では,またお会いしましょう!
Auf Wiedersehen!

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