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病めるときも健やかなるときも
良いときも悪いときも
富めるときも貧しきときも
病めるときも健やかなるときも
死が二人を分かつまで
愛し慈しみ貞節を守ることを
ここに誓います
7月某日、実弟の結婚式がありました。
友人や親戚のそれには出席したことがありますが…実の兄弟となると全く心持が違いましたね。衣装替えの時のエスコートに私を選ぶとか…驚きましたよ。新郎新婦当人らが一番緊張したかと思いますがね。
おめでたい話から一転。してしまう。
弟夫婦の幸せを心から祈ってますし、義妹はとても良い娘で可愛いですし(トニカクカワイイ‼)
ただ冒頭のこの言葉が最近、ことあるごとに蘇ってきます。
ダメなようです。堕ちる時期は去年もその前も、大体夏から秋のこの時期。めでたい席での言葉も黒くなってしまう。
病める私
これから進むのは十中八九、悪路
それでも…
茨の道を共に歩いてくれますか?
共に歩かずとも
君は隣の緩やかな路を行って
そこで茨の道を進む私を
見守ってくれたらそれで十分
生きるのって、こんなにも大変なんですね。
自分で言うのもなんですが、これまで私はとても真面目に生きてきたと思います。
高校までは、真面目に生きていれば「『普通に』大学に行って、就職して、それなりに収入も得て、いづれ結婚とかするのだろな…」なんて思ってました。
でも…どこかで路を踏み外したのでしょうか。踏み外して起き上がって、元の路に戻って歩き始めた。と思ったけど…それは元の路ではなく、何階層も堕ちた路。そんな路にも小さな花があったり他にも歩く人がいたり、必ずしも「堕ちて」はいなかったなと感じる私。
そんなことを繰り返し、いま、何だかよく分からなっています。自分が何をしたいのか、すっぽり記憶がなくなった様な感じ。今何をすればいいのか。何かしなくてはいけないことは分かる。焦りもある。「何か」しないといけない。でも「何か」が分からない。それに反して身体は重く怠い。そうして今もモヤモヤと焦燥感を抱えている私。
何もしなくても、空腹だけは一丁前に来る。
「生きてる」と感じるときはそんな時。…「生きてる」というよりも「命を浪費している」といった方が近い感覚。どうしようもなく不甲斐ない私。
脳内会議の末、文章にしたら少しスッキリするかと思いPCを開きました。
生きるの、難しいです。
「健やかなるとき」が私にやってきたら、この文章を「いろんな意味でまずい…」と笑って読めるようになるかな。