57年前の東京オリンピックに父はいた。
2020オリンピックの幕開け、ピクトグラムの
シュールさと面白さ(隠しきれない小林賢太郎色に
個人的に感慨深かった!)に度肝をぬかれた
開会式から数日たち
早くも日本選手の金メダル獲得のニュースで
テレビは大賑わいですね。
さかのぼって、1964東京オリンピック。
私はまだ生まれていなかったですが
その時、父は代々木競技場のコート場にいました。
バスケットボール決勝審判(アメリカvsソ連)
として、ホイッスルを吹いていたのです。
もともと実業団でバスケットボールを
していた選手でしたが、身長は170cmくらいで
小柄。(ジャンプ力はすごかったみたい)
組んでいたもう一人の審判は外国人。
アメリカとソ連のバスケットボール選手という
大男達のなかで、走り回ってジャッジを見極める
のは、かなり大変じゃなかったのかしら。
父は数年前に亡くなりましたが
生きていたら、今回のオリンピックどう見ていたかなぁ。
開会式での選手宣誓の際に、選手は白いジャケットで、その隣りに立っていた大会関係者と思われる
青いジャケットを着ていた方々。
父もずっともっていたオリンピック関係者の
ジャケットは青でした。
そのジャケットは棺の中にいれて
そのまま父と一緒に天国へ。
ブルーインパルスの描く五輪のマークを
一番間近で見られたかもね!
あ、今回のバスケットボールの会場は
代々木じゃなくて、さいたまスーパーアリーナだって
(*´艸`)天国からお間違えなく 笑。
まだまだ熱戦が続きますね、オリンピック
楽しみましょ〜٩( ᐛ )و