ヨネヤマヤヤコ|モーヴ色のとばりの向こう
菫色の小部屋への招待は手書きのお手紙で始まりました。
雨宮まみさんからのお手紙でした。はじめて行くときは迷うかも、と出不精な私を彼女が連れて行ってくれることになりました。
モーヴ色のとばりをくぐり抜けるとほのかに清冽なラヴェンダーの香りが漂い圧倒的な美意識に彩られた空間が広がっていました。柔らかな菫色を帯びた灯りのもとで設えのひとつひとつに目を留めては感嘆の声を上げたり、ノール様の解説に耳を傾けては試着してみたり。菫色の小部屋は一見こじんまりとした印象を受けますがゆるゆると時間が溶けてゆくのです。ペンローズの階段のように。
菫色の小部屋では宝石のような出会いがいくつもありました。はじめて訪れたそのときは偶然チェリストの小林奈那子さまとお会いし四人で香水談義に夢中になりました。そのときのぽわぽわと熱っぽく夢見心地な空気はわたしの原体験となりました。
まさかそのときの出会いがのちのカルチャー・ソロリティ「菫色連盟」でのサロン《香水談話室》へと繋がるとは想像だにしていませんでした。「香水探索のビジュー」(なんて美しい肩書きでしょう!)として毎回テーマを決め香りをめぐる談話室を主催させていただいたこと、女家長として菫色の小部屋を預けていただいたこと、毎回素晴らしい「香水ノート」をつくっていただいたこと、特製ムエットを製作していただいたこと、ノール様がミストレス・ムエットとしてお手伝いしてくださったこと(!)───すべてが夢のようなサロンでした。
突如感染症が猛威を振るった暁にはオンライン・ギャラリー《Mauve Street(モーヴ街)》を設えていただきました。いち早くブライオニー荘に潜入していたわたしはサロンの残り香を伝えるだけではなく、時にはヴィヴィアンズ百貨店や菫色の写字室で役立てていただき、Du Vert au Violetの新作ポプリのムエット・エッセイやムエットを通して香りを伝えるように作品紹介を綴らせていただくようになりました。コロナ禍の3年間、ヨネヤマのたましいは間違いなくモーヴ街で暮らしておりました、そう断言できます。
イラストレーターとしても企画展に参加させていただきました。無謀にもホームズ・パスティーシュに挑戦した《菫色連盟の事件ファイル》では香水談話室と絡めて「菫色香水事件」の首謀者に。菫色のリボンで綴じられた事件ファイルは思い出すたびに胸がときめきます。
絵のモチーフとして扉が度々登場したのは菫色の小部屋が様々な扉を開いていただける場所だったからでしょう。好奇心の地下茎を巡らし花開く場所はいつもモーヴ色のとばりの向こうにありました。
思い出の詰まった吉祥寺の店舗は終幕を迎えますが、新たな場所でモーヴ色のとばりが下りる日を心待ちにしております。
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