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嶋田青磁|ある聖域について
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記念コフレ『菫色の小部屋〜終幕のネセセール』
(2023)収録
菫信仰
黄昏が瞼をうっすらと開けるころ
巡礼者たちは花を手に
しずしずと列をなし菫色のヴェールをくぐる
小さな神殿の奥深く、秘密の祭儀を行うために
ここには眩しすぎる光も、喧噪もなく
ただひたむきな祈りがあるのみ
巡礼者たちは一株の菫のように寄り添いあい
祭壇に花を手向け、賛美歌を口ずさむ
やがてその和声は澄んだ風にのり
聖域の在りかを遠く伝えるだろう
ここはわたしたちの世界が収束する場所
美しさと純粋さが、祈りによって守られるところ
*
わたしが初めて「霧とリボン」の店舗を訪れたのは、もう5年前になるだろうか。美しいものについて語ることすらできない環境、どうしようもない孤独の中、すがるような気持ちで硝子戸をくぐったのを今でも覚えている。
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Orlando(by ネバアランド & 霧とリボン)
《ジョルジュ・サンドの5つの書簡のドレス》より
(2020/以下同)
あれから、ウイルスの流行を経て、街中にある「実店舗」の多くが様変わりしてしまった。今まで当たり前のように立ち寄っていた書店、カフェ、服屋が、いつの間にか空きテナントあるいは見知らぬ店に入れ替わっていた。特にフランス語書籍専門の欧明社撤退などは、大ショックであった。
お気に入りの店・場所というのは、そこに存在していること自体がわたしたちの心の支えになる。あそこに行けば、必ず安らぐ空間がある。そういった保証が、日々を乗り越えるための原動力——もっと直接的に言えば、生きる理由になるのだ。
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これは、友だちや大切な人についても同じことで、「そこにいてくれるだけで」いい。例えば、旅先でふと土産物を手にしたとき、服屋で自分は着ないテイストだけれど素敵な洋服を見つけたとき、特定の人の顔が浮かぶことはないだろうか。そういうとき、わたしはたしかにその人たちの存在が、自分と自分の人生の一部になっているのだと実感できて、とてもあたたかな気持ちになる。
「霧とリボン」もそうだ。この小部屋に足を踏み入れてから、菫色のものを見るとすぐに、あの小さな美しい空間を思い出すし、美術館や雑貨店に行っても、「あっ、この絵(アクセサリー)、霧とリボンのギャラリーに並んでいそうだな」と想像が広がるようになった。何なら、吉祥寺を通るたび、「今日はお店、やっているかな」といつも考える。
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もちろん、どんな場所にも終わりはやってくる。だが「霧とリボン」というギャラリーが、この時代においてカルチャーの一潮流を生み出したことは間違いないと思っている。仮に「菫派」とでも言おうか。わたしは、小部屋に気鋭の作家たちが集まり、目の前で芸術を練り上げ、語り、一つのうねりを生み出すのを目の当たりにし、芸術の歴史とはこうやってつくられるのだと知った。
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しかし、この出来事を書物に記すには早すぎる。なぜなら、菫色の歴史はまだまだ終わらないからだ。いまや「霧とリボン」はオンラインというバーチャルの住所に店舗を構え、時代の先端を優美な足取りで歩み続けている。
わたしはこれからも、此の美しい場所を導きの星、あるいは目指すべき安息の地として、芸術活動に励むことができる——なんという幸福なことであろうか。
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嶋田青磁|詩人・フランス文学修士 →note
19世紀末の頽廃・優美さを求め、研究の傍ら詩・小説などの執筆活動中。専門はピエール・ルイスと19世紀フランス文学における身体論。オンライン上のストリート「モーヴ街」では、図書館「モーヴ・アブサン・ブック・クラブ」にて司書をつとめている。
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