大串祥子|美の種子を護る者
どんなものにも終わりは来る。
世界で最も美しい何かを見つけると、いつか訪れる最後の瞬間を考えてしまう。
少年は、撮影の時間に遅れてきた。
次のアポイントメントがあるから時間がないというと、「遅れていけばいい。謝る必要もない」と笑ってのける。
時が経ち、イートン校を再び訪れると、クロイスターの大理石の凹凸に、あの日の少年の気配と若い自分の想いが張りついているのに気づいて、我は足早に立ち去った。
開きかけた玉手箱から幸せが気化してしまわないうちに、力づくで蓋を閉めて。
ミストレス・ノール様と他愛もないお茶のひとときを楽しみながら、「たぐりよせ」という言葉を聞くのが好きだった。
世界と穏やかに調和しながら、夢に誘われ、大好きなものに巡り会う不思議。
ノール様ほど、大好きなことを一切の妥協をせずに行い、人生の一分一秒、一つ一つの言葉から、暮らしの細やかな部分まで、完璧を期し、楽しみ尽くしている人を他に知らない。
そんなノール様のインナーワールドを物質化したものが、菫色の小部屋だった。
さて、本当か嘘かは知らないが、「モナリザ」来日時のエピソードを、広告代理店の上司から聞いたことがある。
輸送機のがらんとした機内には、どんな高温や水圧や衝撃にも耐えられる特殊な箱に入れられた「モナリザ」と同行者一名だけがいるのだと。
「海の上を飛んでいて、ここで墜落したら私は死ぬけど、『モナリザ』は無傷で守られる」
同行者は、晴れ晴れとした表情で話していたそうだ。
ジュラルミンケースに名画を任せきれた者のように、ミストレス・ノール様と出会い、孤独を忘れ、執着を捨て去ることができたのは、我だけであろうか。
来たるべき終末に向けて世界中の種子を集めた貯蔵庫のように、菫色の小部屋は、この世界に絶対の安定をもたらした。
丁寧にたぐりよせた美の種を、厳重に守り、慈しむ。
それぞれの花が調和し、新しいメロディーを奏でるよう、まとめ上げるガーデナー。
純粋な愛があふれ出る光源から、打ちのめされた魂を鼓舞し、生命をつないできた偉業を称える言葉が見つればいいのだけれど。
ノール様というかけがえのない友をたぐりよせた幸運をよろこびつつ、
聖ジャーメインの言葉を借りて、心からの感謝を伝えたい。
「そのようになりたいと思う人たちと、いっしょに時を過ごしなさい」
ノール様とルカ様とモペ様の箱舟よ、新天地への出航が穏やかであらんことを。
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