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鈴木真理子|菫、アリス遺髪。そして《霧とリボン》
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2011年、私が雑誌『ゴシック&ロリータ・バイブル』を仕切っていた頃、編集部に一通の手紙が届きました。中には銀座・ヴァニラ画廊で開催される《菫色の文法 vol.1〜ルネ・ヴィヴィアンの寢台》展のお知らせが入っていました。
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ミストレス・ノール企画・キュレーション
(2011年・ヴァニラ画廊)
よく存じ上げないアーティストさんばかりの出展でしたが、その中に《アリスの遺髪》という作品の写真があって、「これは『バイブル』で紹介しなくては! そしてどんなに忙しくても展示も見に行かなくては」と思いました。いただいた情報は誌面では紹介しないことも多いし、紹介しても自分は見に行かないなんてことも多かったのですが……。この時は「絶対見に行きたい」と思ったのです。
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だって、《アリスの遺髪》という名前の三つ編み髪の作品ですよ。それって一体どういうことなんでしょう? 物語『不思議の国のアリス』のモデルになった実在の主人公アリス・リデルの実際の髪を手に入れて、三つ編みにしたとでもいうのでしょうか?
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モーニング・ジュエリーへのオマージュ
《アリスのO・SA・GEブローチ》
その日私は、英国のアンティーク・ショップで購入した、菫の花の造花を髪に飾っていきました。ずっと前に手に入れたものなのだけど、なかなか身に付けるチャンスがこなくて仕舞っていたものです。今日は身に付けるにふさわしい日に違いないと、引き出しから出して髪に差しました。
はたして画廊で実際に目にした作品《アリスの遺髪》は、額に飾っておくだけの作品ではありませんでした。首飾りのようにして自分の両肩に掛けてお下げを作る、という所有者を作品にしてしまうものでした。お知らせ葉書の中の小さな写真のイメージから全く裏切ることのない、いえそれ以上に素晴らしいものでした。
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《O・SA・GEブローチ》
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しかもどうやらこの展示に併せて、ルネ・ヴィヴィアンの詩を読むという男装の麗人達の集いが行われていたようです。参加しなかったことが悔やまれました。
「何もかも素敵すぎる……」とこの展示の企画者であり《アリスの遺髪》の作者でもあるミストレス・ノールさんの企みに、私はまんまとやられてしまいました。そしてぽぉ〜っとしてヴァニラ画廊を後にして帰宅したところで、髪に飾った菫をなくしていることに気が付いたのです。
もしやと思いヴァニラに電話をしたら「菫、ありますよ。なんて素敵な忘れ物なんでしょう」とのこと。慌てて引き取りに行きました。英国の骨董屋でも「ラビッシュ(がらくた)」って言われていた物なのに、床に落ちてたらそのままゴミ箱行きになりそうな物なのに。何十年も前のラビッシュに特別な価値観を持ってもらえたことも本当に嬉しかったです。
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(2011年・ヴァニラ画廊)
その後、ノールさんから吉祥寺にご自分のギャラリー《霧とリボン》を始めた、というお知らせをいただきました。《アリスの遺髪》にも「え、それ本物?偽物?」と悩ませられましたけど「霧」と「リボン」って? どういう繋がりなのでしょうか? 雑誌「バイブル」「ケラ!」ではファッション写真の脇に載せるポエム(と呼んでました)をたくさん書いて、読者を陶酔させてきた私ですが、《霧とリボン》だなんてミステリアスな名前を付けるセンスは、全く持ち合わせていなかったのです。
《菫色連盟》もスタートさせた《霧とリボン》は内装が菫の花の色に近いモーブ色でまとめられていて、しかもひとつひとつのモチーフもレニー・マッキントッシュ、アールデコなど2000年前後の西欧を思わせるモダンなデザイン。ここでもまた私は一人熱狂しました。
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そしてその後もずっと《アリスの遺髪》のことがずっと忘れられなくて、2015年「ロリケィト」というZINEの2号を作った時に、《霧とリボン》に赤・青・金色3種の《アリスの遺髪》をお借りしに行きモデルに着用してもらい『或る文学少女の物語』という写真ストーリーを作って掲載しました。
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2020年に元AKB48のアイドル佐藤すみれちゃんの写真集「すみれ色の魔法」を作ることになった時にも、「菫」がテーマの本でノールさんのところにお世話にならないわけにはいかない!と思い、《霧とリボン》で撮影させていただけないかお伺いしたところ、快諾していただけました。さらにノールさんの提案で、出版に併せて展示もしていただくことになったのです。出会いから9年掛けてこの時やっとノールさんが私に心を許してくれたことを感じました(笑)。
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霧とリボン企画展《すみれ色の魔法の小部屋》
DM(2020)
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この写真集刊行の後、コロナ禍のため長らく《霧とリボン》はお休みに。ようやく2023年に再開されてからは、ノールさんへの貢物になりそうな(笑)、ノールさん好みの歌人や詩人を連れてせっせと通ったのですが、なんと年末に閉廊されるとのこと。
とても残念ですけれど、最後にお邪魔する時はまた菫の花を付けて行こうと思います。私達の目にだけ大切で、他の人にはラビッシュのあの造花です。実はあの時一度きりしか使っていないんです。そしてまた置き忘れていくつもり。そしたらまたお会いできますからね、きっと。
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鈴木真理子|編集者 →X
雑誌『ケラ!』『ゴシック&ロリータバイブル』『ケラMANIAX』創刊編集長。現在はフリーランスとして美術館の公式本、カルチャー系、ロリータ系の書籍を編集。
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