記事を読んで意見が出たら「#note感想文」を付ける(のは半分間違い)
記事の引用ってすごく難しいですよね。
でも、引用するってことは「思考が生まれた」ことでもあるんですよね。
今日はnoteにおける引用のお話です。
本記事含め、企画参加はもちろんのこと引用記事に対して何かしらの言及や考えを述べる際は「#note感想文」タグを付けています。
といっても、4割くらいは記事とあまり関係ないことを書いていたりしますが…少なくとも、記事を読んで「書きたい!というか書く!!」欲求に従って書いています。
前は記事についての意見を引用してガンガン自分の意見を書き殴っていました。
しかしながら、noteのシステム上お知らせが相手に通知されるので、引用したからといってもそれが良い結果をもたらすとは限りません。もしかすると反論目的で引用されているかもしれませんよね。
個人的には共感だろうが反論だろうが関係なく違う考えがあることを知るにはうってつけだと考えていますが、それが嫌でたまらない人だって当然いますし引用自体がNGな人もいます。
「note読書感想文」マガジンを作っているくらい引用記事大好きマンなわけですが、引用して失敗したことは多々あります。去年のnoteライフを振り返ったとき、引用記事に関する失敗の原因が見えてきました。
自分の意見をガンガン押し通していたのです。
引用記事の中には批判・反論記事が含まれています。もちろん、共感する記事もありますが…どれも共通していたのは「自分の意見を言いたいがために引用元を使っている」ことでした。勘違いしないでほしいのですが、これは決して人を利用しているわけではなくて記事で言及されている意見に対して別の意見を言っているに過ぎません。
ですが現実は、それを苦しく感じてしまう人がいます。意見を書くにしても私の言葉がとんでもなくまずかったのです。物書きなのに恥ずかしすぎ
ただでさえ敵を作りやすい性格なのにこんなことを延々と繰り返していたらそりゃ人も離れるわなと反省し、以来引用せずに書けるものは引用せずに書くようにしています。
要は「わざわざ引用してまで書くものじゃなければ引用しない!」というだけの話で、引用する場合は「こんな記事を読んでこう思いました」と書けば良いだけなのです。
偉そうにこんなことを書いてみましたが…実はまだ言うほど書けていません。
変なところで負けん気が強いので、やろうと思えば今まで通りやれてしまうのが恐ろしいところなんですよね。でも、それを貫いてしまうと「傷つかない文章」を拵えることはできないので今こそ自制を覚えなければなりません。
記事引用、簡単なようですごく難しいです。
noteのマイルール、ぶっちゃけあまりなかったけど強いて書くなら引用に関することしかなかったよ趣旨違ってたらごめんなさい