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ゆりこちゃん 5

思い出した事があった。
雨の日の赤い傘。
緑色が映える田んぼの真ん中の道を赤い傘が、少しづつ進んでいく。
「ゆりこちゃーん」
私は黄色い傘で追いかける。
ゆりこちゃんは驚いて振り向いた。
「私も今日は歩きなの。一緒に帰ろう」
その日、祖父母は、町内会の旅行に出かけていた。母は「傘さして行けばいいでしょ。もともとじいちゃん達が甘やかしすぎなんだから」と、言っていた。
ふくれっ面をしながら持たされた傘が、兄の名前をマジックで消して「りつこ」と書かれた傘だった。
ゆり子ちゃんの赤い傘はふちがフリルになっていておしゃれだった。
私はそのおしゃれな傘がうらやましかった。
「すてきだよね,その傘。」
おしゃれな傘のゆりこちゃんは、ちょっぴり大人に見えた。
(私も、いつか買ってもらおう)
赤い傘のゆりこちゃん
兄のお下がりの黄色い傘の私。

私達が育った小さな町では、共稼ぎの両親のかわりに、雨が降ると農家をしている祖父母のどちらかが、車で学校に迎えに行く。
いつからなのかそれが当たり前の習慣だった。
だけど叔父夫婦が働いているゆりこちゃんは、雨の日はいつも傘をさしてひとりで歩いて帰っていた。
雨の日に傘をさして帰るのは、ゆりこちゃんだけだった。
「かわいそうに」と噂になっていたらしい。
雨の日に傘をさして下校する子どもの不憫さは、まことしやかに不幸話として大きく膨らんで井戸端会議のエサになっていたらしい。
私にしたら、そう言えば傘さして歩く人は、あんまりみかけなかったなぁと思う程度だった。

職場に着くと、自分のディスクに封書の束が乗っている。
介護事業所からの味気ない封書の間から、きれいな花柄の封筒がのぞいている。
差出人は、八重樫光恵とあった。
(八重樫、、、ゆりこちゃん?)
嫌な予感がして封を開けた。

「たっつーへ
 会えて良かった。
 話せて良かった。
 楽しかった。
 ありがとう。
          八重樫 優梨子」

短い文だった。細い文字だった。
この4行の文字にどんな意味があるのかすぐにわかってしまった。
もう長い文章は書けなくなっていたのだろう
ゆりこちゃんの細い肩を思い出す。
手紙はもうひとつ入っていた。

「立子様
優梨子は、病室の窓から桜の花を見てから、旅立ちました。
きれいな桜でした。
優梨子は、立子ちゃんに会えてほんとうに嬉しかったんです。
嫌な記憶が良い事に、上書きされたって笑っていました。
立子ちゃんのおかげです。
ありがとうございました。
             八重樫 光恵 」

ゆりこちゃんに嫌な記憶がいつまでも心の中にあったとしたら、それは叔母さんの光恵さんも同じだったのだろう。

桜は満開だった。
桜並木のその中にゆりこちゃんが立っていた。
広がる田んぼの中の一本道、その先に桜の花で華やぐ山々が肩を並べている。

「たっつー、バイバイ」

明るい笑顔だった。
ゆりこちゃん、いい笑顔だなぁ。
そう思って目が覚めた。








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