1本97.2円の相棒
先に申し上げておくと、そもそも私は文房具に詳しいというわけではないし、また、これといってシャープペンシルに特別な思い入れがあるわけでもない。はたまた、先進的なシャープペンシルだったり、高くてかっこいいシャープペンシルを好んで使っているわけでもない。
ただ、先日のぺんてるさんの記事を読んで、そういえばいつも使っているシャープペンシルにだけは妙にこだわりがあるなあ、と、そんなことをただ思い出しただけの市井の人である。
私の相棒は、振れば芯が出てくるようなタイプでもなく、芯が勝手にぐるぐると回ってくれるタイプでもなく、製図用シャープペンシルのような特別な繊細さを持っているわけでもなく、ありふれた安いシャープペンシル――VERYシャ楽の緑色だ。
(ぺんてるさんじゃなくて申し訳ないのですが……)
一年ほど前に持ってた最後の一本を壊してしまって、予備を含めて何本か買っておこうと思ったものの、文具屋を何軒ハシゴしても全く見当たらず、結局通販で10本972円で買ってしまった。これだけあれば当分生き延びられそうである。
そもそも私とVERYシャ楽の出会いは、そんなにたいしたものではない。
小学校ではシャープペンシルが禁止されていて、中学生になってようやくシャープペンシルデビューができた私の手元に偶然、なにかのノベルティのVERYシャ楽が転がり込んできたのだった。私とVERYシャ楽の出会いというのは、本当にそれだけだった。
その頃私の周りで流行っていたシャープペンといえば、鉛筆のような見た目のシャープペンシルやら、ドクターグリップやらフリシャーやら、はたまたグリップの中や軸の中を自由に変えられるやら、随分とこだわったもの、或いはおしゃれなものが多かった。
ただそういったものは私にとっては酷く持ちにくいものだった。そもそもそんなに強く握らない+手がそれほど大きくないわたしにとって、ふにゃふにゃのグリップや太軸、そして重いシャープペンシルは天敵のようなものだった。だいたいどれもこれも数ヶ月ほど使ってはみたものの、手に持て余してしまってやめたか、単純に飽きてやめた。(鉛筆のような見た目のものはすぐ壊れるので使わなかった。)
で、結局またVERYシャ楽に戻ってくるのだ。あのグリップは適度な細さと絶妙な硬さを持っていてとても握りやすい。そしてシンプルなデザインだからこそ飽きが来ない。
――結局、私はVERYシャ楽と一蓮托生の道を選んだ。授業のノートも漫研の原稿も、大学受験も、線形代数や量子力学、卒論のお供も。私の何もかもがVERYシャ楽とともにあった。筆箱には常にメインと予備、2本のVERYシャ楽が入っていた。
京急コラボのクルトガにもめちゃくちゃ興味はあったけれど、結局自分で軸をぐるぐるしてしまえばそれで事足りる。
そしていま私は会社員になったが、やはり筆箱にはVERYシャ楽が入っている。ここで冒頭の、「壊したから10本972円で買った」になるのである。
実際、VERYシャ楽のような廉価なシャープペンシルというのは意外と巷に溢れている。例えばタプリクリップやノックスピュア等がその代表的なものであろう。無論、これらのシャープペンシルも試してきた。しかしどうやってもVERYシャ楽に舞い戻ってくる。ここまでくると最早本当に運命なのではないかという気さえしてくるのだ。
よくよく考えてみると、わたしは人生の半分以上をVERYシャ楽とともに過ごしてきたことになる。本当に自分に合うペンというのは、用途は何であれ、自分のポテンシャルを最大限に引き出す道具なのだろうと思ったし、私にとってそれがVERYシャ楽だった。VERYシャ楽を右手に番えて紙に線を引けば、VERYシャ楽はもともと私の一部であったかのようになめらかに、思ったとおりの線をそこに描いてくれる。文字であれ絵であれ、VERYシャ楽で書かないと話にならない。
自分のポテンシャルを最大限に発揮してくれる運命のシャープペンシルに出会えた、この世にこんな無上の喜びがほかにあるだろうか? 最早、恐悦至極。
振れば芯が出るわけでもなく、指を動かさずにノックできるわけでもなく――シャープペンシルとして必要最低限と言ってしまえばそれまでである。しかしだからこそきっと、VERYシャ楽はそのシンプルで完成された美しさで以て私をこれからも魅了し続け、忘れられない一本として私の中に君臨し続けるのだろう。
VERYシャ楽が好きすぎてつらつら書いていたら結局何が言いたいのかわからなくなってしまったけれど、つまり、VERYシャ楽はとてもいいシャープペンシルということです。