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海外経験ほぼ無だけど女一人でヨーロッパ行った〜④ベルリンユダヤ博物館他


私はめちゃくちゃ寝起きがいい。

寝る前に「明日は起きたらゴミを出す!」って言い聞かせれば、目覚ましが鳴った0.5秒後には「ゴミだ!」と覚醒できる。
寝ぼけたこともない。いや、確信持てる類の話ではないけれど。
とにかく、私は起床時に意識を取り戻すのがめちゃくちゃ早い。それは、年一くらいで行く国内旅行でも変わらなかった、のだが。

ここ、どこだ?

天井が違うから、たぶん、どこかに泊まりにきてるんだろう。
どこ?京都?(京都にばかり旅行に行っている)
いや京都に来た記憶はない。

どこ………?


ドイツだ!!!!!!!!


この間たぶん5秒くらい。
たったそれだけでも寝ぼけられることが無かったので、なかなか楽しい体験だった。

ちなみに翌日以降は起きた瞬間状況を把握できてしまった。適応早すぎなのよ。

ということで、二日目。

この記事の最後にセンシティブな写真(虐殺の様子、遺体写真)を掲載しています
展示されていた写真がそもそも白黒だったのもあり、私が見る限りグロさはありませんでしたが、苦手な方はご自身の判断でお願いします。
全て無料で入れる施設で撮影したものであり、ネットでも検索可能な画像で、なによりこの記事を書いたのは『伝えるため』だったので、ワンクッションの手段として有料化は選びませんでした。
掲載部分の手前に、これと同形式(背景色がグレー)のワンクッションを計2回入れているので、普通に読んでいて思いがけず見てしまうことはないと思います。
苦手な方は、勢いよくスクロールしないようお気をつけください。
以上を踏まえた上でお読みいただけると幸いです。



ナチス強制労働記録センター


宿泊してるホテル、インターシティーホテルベルリンブランデンブルクエアポートから一駅。


読めない

ここから徒歩10分ほど。

ナチス強制労働記録センター

人気(ひとけ)、無
松ぼっくりがたくさん落ちてた

誰もいねぇ!!!!!!

そんなに広い施設じゃないけど、そんなマイナースポットなのか?

私と、ツアー団体客1組しかいなかった。

ちなみに行く場所は、Googleでベルリン旅行した人のブログ覗いたり、Googleマップで『ナチス』『ユダヤ』みたいな感じで検索かけて決めました。ほぼ直感で決めてます。

ここは元々シェーネヴァイデ強制収容所
ワクチンの研究施設でもあったそう。
(たぶん。情報が少ない…。)

ここで行われたことの展示というより、ナチスが各地で行った強制労働についての展示、って感じだった。

全体図
入り口が下のバラック1のところ

上図で
・青く塗られているバラックが、現存し研究センターとして公開されている建物。
白く塗られているバラックが、現存するが他の用途で使われており、見学できない建物
・白く縁取られているだけのバラックが、取り壊されて現存しない建物。

驚いたのが、元々収容所として使われていた建物が、博物館としてではなくふつーの商業施設(サウナとかボーリング場とか)として使われていること

ナチスが作った収容所の数は2万と言われ、戦中にその役目を終え、取り壊された物も多い。現存する収容所は少なく、現存したとしてもここのように違う施設として用いられていることもある。いや、他の施設として用いられたから残ったのかもしれない。

意外すぎたが、あのアウシュヴィッツ強制収容所でさえ、現在は博物館ではなく別の目的で使われて残っている建物もあった。

写真と動画の展示


1941年、
髪を剃られたドイツ人とポーランド人のカップル
晒し者にされる写真や動画が並んでいる


生還者たち。裏面に証言が書かれている。
生還者の証言


博物館のトイレは無料の場合が多い。

入館料も無料だし、有料トイレ探すなら博物館探した方が良くね?綺麗だし〜。
とか思いながらバラックの一室を使ったトイレを利用し、廊下に戻ったら

トイレの真隣が、ワクチン研究施設の展示だった。
てことは、ほぼ確実に今のトイレも研究室だったとこじゃん。
一気に心がすり減った。


ドイツのブラウンシュヴァイクの産科施設の写真。
ポジティブな印象を与えるために撮られた写真だが、
乳児は栄養失調状態。
ここで少なくとも365人の乳児と幼児が亡くなった。

ドイツ人患者から遠ざけるため、強制労働者用の分娩病棟が別に設けられていたそう。

解説には「雇用局の命令による、後期中絶の報告」
と書かれている。下は中絶器具。

女性強制労働者の給料は男性より低く、性的暴行を加えられることも多かった。ナチスは彼女たちに中絶を強制し、出産を許可された場合も仕事は三週間しか休めなかったそう
田舎では50%、都市部では90%の赤ちゃんが「外国人児童養護施設」で餓死した。

ベルリン市内の地図

赤やオレンジに塗られているところが強制労働収容所。
ベルリン市内だけでこの数


読んでるだけでしんどいよね、はい、松ぼっくり

企画展も行われていました。
こんな人気(ひとけ)のない施設で、半年ごと?に展示変えてるスペースあるのすげーーーって驚いた。
ベルリンは本当にこの歴史に真面目に向き合っているんだなと、こういうところで感じる。


外に出たら、バスが休憩してた。

「乗れないよ〜」

かわいい。


近くのバーガーキングでごはん。

セルフオーダー機マージで助かる。空いてたらずっと検索かけてそれがなんなのか調べてる。
「whopper」が何なのか分からなすぎてギャンブル気分で頼んでみたんだけど、「ワッパー」って普通に日本でもあるメニューだったのね…行ったことあまりなくて…。
このくるくるポテト、バーガーキングにもマックにもあったからずっと食べてた。

お水大事。セットに課金してでもペットボトルの水を手に入れるべきという教訓。

EUでは2024年7月からペットボトルのキャップを本体と一体化させることが義務付けられたそうで、キャップを回しても完全には外れず、若干飲みにくかった。日本でも一回販売されたことあるけど一瞬で消えたような…まだあるのかな。
向こうにいる間ですっかり慣れてしまい、日本に帰ってから何度かキャップを落としかけた。

水道水を飲まないことと関係してるのかわからないけど、こっちの人はみんなでかいペットボトルを持っている。みんな鞄や手に1.5Lとか2Lのペットボトルを持っている。そっちの方が割安だし、どうせ500mlじゃ足りないから、私も便乗してでっかいペットボトル持ち歩いてた。


ちなみにこのあとベルリン地下社会博物館にも行ってみようかと思ってたんだけど、ツアーじゃ無いと入れなかったので諦めた。泣。英語のツアーでも…と思ってたけど、人気みたいでその日では取れなかった。みんな予約してね。

ここはマジで行きたかったけど、行ってたら他のどこか諦めなきゃならなかったと考えると仕方なかったのかも。
スケジュールかっっつかつ。


ベルリン・ユダヤ博物館


左の古風な建物と、右の近代的な建物両方がユダヤ博物館。地下で繋がっている。

左の建物は元裁判所、右の建物はホロコースト生存者の両親から生まれた建築家によってデザインされたそう。

入り口は左の建物。

写真が下手すぎるって言わないで???
元々こういうところに載せる予定なかったから、自分の記録用としてしか撮ってなかったのよ。
そういう心境の変化があった旅、ということで。


ちなみにここ、めーーちゃくちゃでかいです。
道路に接してる面が狭いから油断しちゃうんだけど、

2枚目の写真の空撮を見てほしい。
私が撮った入り口が、上の方に写ってる道路から撮った写真。
いや奥行き。
帰ってきてから調べてびっくりしたわ。そりゃ力尽きるわ。(何度もベンチで休憩した)


入り口入ると、空港並みの荷物検査
荷物全部カゴに入れて、己も荷物もスキャンされる。
いろいろ巡ったうち、こういう荷物検査があったのはこことアウシュヴィッツだけだった。やっぱりユダヤ関連は神経質にならざるを得ないのかな…。

検査が終わったら受付でチケットをもらう。
無料。ぼんやりしてると通り過ぎちゃうくらい影が薄い受付だから、ちゃんと受け取ってね。
私は一回スルーして、「あれ?みんなチケット持ってる…」ってうろちょろして受付に戻った。

ちなみに日本語音声ガイドがあるというレポを複数見かけたのでるんるんで「貸してください」って言ったら、「ない」って言われた。足りないとかじゃなくて、そもそも日本語ガイドなんて無いって感じの言い方だった。あれーーー???
誰かこの謎解いてきてくれ。

チケット。
後ろのSEXって書いてあるのは、有料の特別展。
時間ないので今回はパス。

正面に見える真っ暗なところが、地下の展示室へ続く階段。この手前でチケット確認が行われる。
無料で入れるのにチケット確認の意味とは…?と思ったけど、チケットは荷物検査クリアした証明なのかもしれない
いやここ荷物検査しないと来れない場所だけど。ほら…ヤバい人が塀乗り越えてくるかもしれないし…ってこと…??

ちなみに、地下室に行くには荷物小さめサイズに収めなきゃいけない。大きいと、ロッカーに預けて来てーって言われちゃう。


展示室、まず最初は地下。
圏外でGoogle翻訳が使えなかった!!!!!
だいぶ辛かった。なに書いてあるんだかわかんない。

人はたくさんいたけど静まり返っていて、みんな真剣に眺めていたから写真撮る気分になれず、地下空間の写真はない。


入ってすぐに鳴り響いていたのが、ドラムの音。
大きなスクリーンに映し出されていたのが、現在のユダヤ人ミュージシャンと思われる人物が、空中?のドラムで演奏している映像

ものすごく申し訳ない自分の先入観に気づかされた。
『ユダヤ』と聞いて思いつくものはホロコーストしか無かった自分に気づいた。今でもユダヤ人と呼ばれる人たちはたくさんいて、みんな私たちと同じように生きて、幸せ感じたり苦しんだりしてるんだ。
入り口でそんな自分に気付けたのは本当にありがたかった。ホロコーストについてももちろんたくさんの展示があったけど、それだけじゃない。ユダヤの文化についても色々教えてくれる施設だった。

この写真撮れなかった地下空間について素晴らしく解説されてるサイトがあったので、ぺたっ。

ちょっと入り組んだ作りになってるけど、中心から大きく分けて三本の道が伸びている。


一つがホロコーストの塔に繋がる道。
道の途中にも展示物が、直接触れられないようガラスに囲まれて置いてある。
その廊下の一番奥に何も書いてない真っ黒いドアがあって、その中がホロコーストの塔。
塔の中は静まり返っていて、遥か天井の方から光が差し込んでいた。

ガス室で殺された人たちは、天井から漏れる光と新鮮な空気を求め、毒ガス投入口の真下に積み重なるようにして倒れていたそう。

廊下の手前の方には「あちらがホロコーストの塔→」みたいな看板があるんだけど、扉の前には何の説明もないし、扉自体が目立たないデザインで最初「スタッフさんの出入り口かな」って思っちゃったくらい。混雑時は人数制限して入れてるみたいだけど、私が行った時はみんな自由に出入りしてた。


もう一つの道は、亡命の庭に繋がっている。

扉を開けた先は屋外で、雨降ってても傘させないんじゃないかってくらいぎっしりと、高さ6mの柱が49本立っている

石のブロックがゴツゴツとして安定しない地面は勾配があり、柱もみんな同じ方向に傾いて視界が悪い。


もう一つの道は「持続の軸」と呼ばれ、地上へと向かう大階段へ続いている。

ここらへんからは窓もあり明るく、展示の内容も重いものだけではなく、文化の話があったりしたのでちらほら写真を撮った。

新しい方の建物には、無数の窓が引っ掻き傷のように
デザインされている。
天井も引っ掻き傷みたいになってる


ナチスがユダヤ人に着けさせた、ダビデの星のバッジ
上手いこと量産してんじゃねえよ…ってイラついたやつ
ガス室に行く前のユダヤ人たち。
みんなバッジ着けてます。

もともとダビデの星って、ユダヤ教の教徒が使ってたシンボルであって、ナチスが考えたものではないんだよね。星自体は差別のために作られたマークではない。
ナチスは当時このバッジのことをダビデの星ではなく「ユダヤの星」「シオンの星」と呼んでいたそう。

白い人影が、その国に戦前いたユダヤ人の数。
黒い人影が、そのうち犠牲になった数。

ポーランドの犠牲者の多さ、そして逃げ切れた割合の少なさがわかる。
ヨーロッパ大陸だけではなく、下の方アフリカ大陸でもホロコーストは行われていた。



トンネル

元裁判所の建物の中は木のトンネルがあったりベンチがあったりのんびりとした空間で、みんな休んでた。


エコバッグ。きゃわ〜〜〜〜!!!!

お土産が全部とにかく可愛かった!!!!!
柄も字体も色づかいもド好み。
全部買って帰りたかった…。

ここで六芒星のパーツがついたブレスレットを買った。お守りみたいな感じで、日本に戻ってからよく着けている。どういう感情でこれを着けているのかうまく説明できないんだけど、私が私である、アイデンティティ、みたいなもの…?
一応外国人が多い場所に出向くときは着けて行かないことにしている。どう思う人がいるかわからないからね。


移動途中。ベルリン名物(?)気球。
これ乗ったらブランデンブルク門もテロのトポグラフィーもすぐ上から見下ろせるんだよなぁ。
怖くて乗れないけど。


テロのトポグラフィー(室内展示)


センシティブな画像はこの見出しでは省き、noteの最後にまとめて掲載しています。載せる前にもう一度、同形式のワンクッション置きます。


前日観れなかった、テロのトポグラフィーの室内展示へ。

ここでついに、日本語のオーディオガイドに出会う!!!スマホでQRコードを読み込めば、無料で聴ける。

対応言語はなんと22。
ここに来たからには絶対に理解させて帰らせるという強い意志を感じた。

↑読み込めば誰でもどこでも聴けるよ。

おそらくドイツ語ガイドを直訳してるから、完全なものかと言われるとそうではないけど、でも確実に理解は深まった。
展示してあるものを訳してくれるというより、その写真が撮られた背景とかを解説してくれるって感じでした。展示内容についてはGoogle翻訳頼り。

オーディオガイドは約1時間。
ここに辿り着いた時にはかなり疲弊しちゃってて、展示をエリアごとに流し見た後それを眺められるベンチに座ってガイドを聞き、聞き終わってから気になった写真をもう一度見に行き、次のエリアへ。っての繰り返してた。
ワンフロアなのにめちゃくちゃ広いのよ…。
(ゲシュタポ本部、SS本部、SD本部、国家保安部のあった場所なのでそれはそれはでかい。)


始まりは1933年。1月にヒトラーが首相になり、ナチスの一党独裁国家に。恐怖政治の始まり。


「収穫感謝祭」に集まった120万人。
農民に感謝を示すプロパガンダ。
まさか…奥の赤茶色も全て人ですか…?なんという…
「国民労働の日」
ベルリンのルストガルデンに集まる群衆。
到着したばかりのヒトラーが、画像中央で敬礼している。
横の建物にはぎっちりとハーケンクロイツ。
どんだけでかい旗なんだ…。
ニュルンベルクにて
群衆の中で一人、ドイツ式敬礼を行わずに腕を組む男性


前列中央にいる長身の男性がラインハルト・ハイドリヒ。
金髪碧眼高身長で、個性的で腕っぷしが強く、ドイツの権力主義者の権化だったそう。
ナチスの高官の暗殺計画は多くあったが、成功したのはハイドリヒに対してのみ。この暗殺が更に悲劇を生んだのだが…センシティブなのでこのnoteの最後にまとめて書く。


SS(ナチス親衛隊)には女性隊員もいた。
プライベートタイム。
これを見た時の気持ちは…なんといったらいいのか。
外見的特徴から、女性がジプシーかどうかを判別している女医。「人種鑑定書」を作成している。
公衆の面前で髭を切られるユダヤ人男性。
それを見ているゲシュタポ(秘密警察)の表情…。
人間ってこんな顔できるんですね。
他人事にしちゃいけない。

アメリカの雑誌「TIME」の表紙になるヒムラーとハイドリヒ。
ヒムラーの背景には死体のイラストがあり、表紙には「死体は反乱を起こさない」の文字。
ハイドリヒの表紙には「ゲシュタポの死刑執行人。1億5000万人の囚人を、恐怖と飢えとプロパガンダで支配できるのか」の文字。

世界は彼らが恐怖政治を行っていることを知っていて、こんな有名雑誌に掲載されるほどだったとは…。


突然話が戦後まで飛びます。
ここまでちょっときつめの写真が多くて、あまり撮れてないのと撮れたとしてもセンシティブ扱いなのとで…。
載せられるもの、書けることは最後にまとめて書きます。

裁判所の手続き中のアドルフ・アイヒマン。
ナチスのユダヤ人移送の責任者の一人。
逃亡生活の後逮捕され、絞首刑に。
裁判を受けるSS女性隊員。
終。



ガラス張りの建物の建築コンセプトは、
「開かれた傷口」だそう。 

ベルリンの街は木と草とお花で溢れてるんだけど、この場所は砂利で覆われていて、見渡す限りグレーの殺風景
「この歴史の上に草が生えてはならない」の言葉で、音声ガイドは締めくくられた。


絶対にこの歴史を忘れさせない、
この街に来たからには覚えて帰ってもらう。

その意思を一番強く感じた場所だった。


いくら残虐な歴史があるからって、首都のど真ん中で、これだけ大きな施設を作って無料で運営して、って、簡単にできることじゃない。

戦後建物は取り壊され、地下牢は埋め立てられ、長らく歴史から忘れられていたこの場所は、東西分断時代に野外博物館になった。
室内展示が開館したのは2010年。

いや本当に…ここ十数年で戦後を取り巻く環境ってめちゃくちゃ変わったんだなってここに来ても思った。

「テロのトポグラフィー」は、
ナチスの恐怖政治と冷戦という二つの「恐怖(terrors)の、地形図(topographie)という意味だそう。

ベルリン行ったら絶対行って。



チェックポイント・チャーリー


全く知らないけど映画とかの舞台になっていて、有名らしい。
まあいいか行けなくても〜と思ってたら

突然現れるやん。
テロのトポグラフィー出てすぐ。

ここが東西分断時代、東ベルリンと西ベルリンの境界にあった国境検問所。

じっくり見て回りたいのだが、私は日没までにホテルに帰るという重大ミッションがある。この時点で日没まであと1時間ほどなので、うかうかしてられない。2枚だけ写真撮ってさらばッッ。


マックでご飯買って帰る


とにかくファストフードばかり食べていた。
カフェとかレストランとか、チップよくわかんないし高いし怖い!
てか食にこだわりない!!!

黒くなってるのは画面を撮った時の仕様ね。
実際は普通に見える。


セルフオーダー愛してる。

レシート長くない????????
ビニールは規制するくせにそんな紙を無駄遣いして…。
※ドイツは2022年から、野菜とか入れる薄いビニール等を除き、ビニール袋の販売・配布が禁止されています。レジ袋が存在しない世界。

レジ。

ここ日本だっけ?????
あまりにも同じすぎる。

違うとこと言えば、待機中の画面に表示された番号が速攻で消される。
何故…!?何をもって消してるの!?
自分の分は果たして用意されているのか、忘れられてしまったのかソワソワソワソワしながら待っていた。日本よりも時間かかるだろうし。日本が早すぎるんよな。
無事用意されて、呼び出し画面に番号が表示された。

コーラ!
なんか丸ついてるかわいい。

コールドドリンクも、ストロー使わないこの形の入れ物に入ってる。
日本もこうなるみたいなニュースを見たような。

そういえば一度も氷抜きにはしなかったけど、お腹壊さなかった。


無事買えたら日没と壮絶なバトル。
なんとか1分前にホテルに滑りこみ、勝利を収めました。

例のネックピローミッフィーたん

え、ちょ、きゃわ〜〜〜〜!!!!!
待ってたの〜〜〜〜!!!??

ちなみに1ユーロ硬貨をチップとして置いておいたんだけど、thank youって書いた紙に「もし可能なら、シャワーの高さを低めに変えておいてもらえたら助かります」って追記しておいたら、高さ変えられなかったらしく(どう見ても変えられるデザインのシャワーだったから、故障?)、チップ受け取ってもらえなかった。笑

なに?と思うやん。
さっき買ったマックなのこれ。

Mc Wrapとかいうトルティーヤに、あみあみポテト。
Mc Wrapには大きめのナゲットみたいなのと野菜が入ってて、スイートチリソースで美味しかった!

折角ここまで来たなら!と思って、ファストフードでは日本にはないメニュー頼むようにしてた。

(調べてみたら、日本でもマックラップ発売されたことあるらしい。2007年…。)

円安の影響は凄まじく、これとさっきのコーラで12.77ユーロ。
約2200円。
この時マジで円安の頂点で、170円超えていた…。
くそぉぉぉぉぉぉぉ!!!!
金のことは考えないことにしてました!!!

私は博物館ばっか行ってるから観光費がほぼかかってないんだけど(この日行ったところはallタダ)、普通に観光する旅行してたら出費やばいだろうね…。

ちなみに買い物はほぼ全てクレカだったから、請求のタイミングでレート計算されて結果若干得した可能性が高い。よかった…良いのか…?
帰ってきたら一時的に1ユーロ158円とかになってて「は?」ってなったよ。


では最後に。


テロのトポグラフィー(センシティブ画像を含みます)


これ以降モザイクやワンクリッククッション無く虐殺写真・遺体写真があります。
ご了承の上スクロールしてください。


↓ご了承の上スクロールを。










 


SA(突撃隊)に拘留される、反対派の逮捕者たち
SS(親衛隊)によって撮影された写真。
囚人に対する故意の殺害を隠蔽するため、SSは「逃亡しようとしていたので殺害した」「自殺した」と記録された
上3枚。
秩序警察による、ポーランド民間人の射殺。撃たれる人々の目の前に、先に撃たれた人々の遺体が倒れている。
アインザッツグルッペン(敵性分子の射殺部隊)の大量射殺の現場。


アインザッツグルッペンに射殺される、ユダヤ人女性と子供たち。あまりにも…で、これしか撮れなかった。

これらを撮れる私でもカメラを向けられなかった写真がいくつもあった。
伝えたいことはたくさんあるんだけど、人によって耐性が違うのも勿論で、ここまで苦しい写真を見たんだってわざわざ言う必要があるんだろうか…と思って、見たことすら誰にも言えてない、でも忘れられない写真もある。


1942年5月27日、ラインハルト・ハイドリヒが襲撃された。
現場となったチェコでは戒厳令が敷かれ、6月4日にハイドリヒが亡くなるまでに157人が射殺。

また、リディツェ村の住民が暗殺部隊を匿ったとして、この村を報復対象にすることをヒトラーが承認。

村の15歳以上の男はその場で皆殺しにされ、女性と子供は強制収容所に送致された。
あまりにもな写真で、これくらい写すのが限界…。



目隠しをされるチェコ人人質とゲシュタポ。
右には既に処刑された人々。


ここから戦後。

上段左から
・戦争末期のSS(親衛隊)
・SS隊員を探すアメリカ軍
・アメリカ軍兵士に守られながら殺された強制収容所の囚人を掘り起こし埋葬するドイツ市民
・解説が読めない…「アメリカ軍」とはあるから、その前の写真の続きで埋葬してるところかな…

下段左
・装甲師団「ライプシュタンダルテ・SS・アドルフ・ヒトラー」に殺害されたアメリカ人捕虜


イギリスにて、ハインリヒ・ヒムラー

親衛隊全国指導者のヒムラーは、イギリスでの尋問を前にして、奥歯に隠しておいた青酸カリのカプセルを噛み砕いて自殺した。


おわり。

絶対に他人事だと思っちゃいけないんだと思う。


これがドイツで過ごした最後の晩。
あっという間だった…。
次もし来ることがあったら、ベルリンだけで一週間ぐらい滞在したい。


次の日は、ウィーンに向かいます。

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